
詩ってわからないですよね。「詩的なもの」はわかるけど。トマトは苦手、でもトマト風味は好き、みたいな。詩の良さをわかりたい、という気持ちはずっとあって、それで詩集を読んでみたり、詩を論じた本を読んでみるのですが、一向にわかりません。
ちくま学芸文庫から復刊された『詩の構造についての覚え書』(入沢康夫)を読んで、詩がわからないのは当たり前だったんだ!と、一気に腑に落ちました。入沢さんは言います。「詩を読むという行為は、詩をつくる行為と質的には等価、あるいはそれ以上の行為だ」と。
詩が一般的に読まれない現状を揶揄して、よく「詩の読者は、詩人しかいない」と言うそうですが、詩人じゃないぼくらが、詩を読むことに苦労するのは当然で、詩をつくるのと同じくらいの時間、労力、態度をもって向き合うことが、「詩を読む」ということなんですね。はー(白目をむきながら)
詩人という言葉から、ぼくはいつも「ディック・ノース」のことを思い浮かべてしまいます。ディック・ノースというのは、村上春樹さんの小説『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる、片腕の詩人です。
ディック・ノースは善良な男で、1本しかない腕を器用に使ってサンドウィッチをつくり、家事全般をそつなくこなす好人物ですが、どこか胡散臭い凡人として描かれます。ユキという13歳の少女からは、軽蔑すらされています。何も悪いことをしていないのに!そのせいでぼくは、「詩人=胡散臭い人」という、間違ったイメージを持ってしまいました。今はそんなこと、思っていません。
(余談ですが、ディック・ノースは交通事故で死んでしまいます。ユキは、生前の彼に冷たく接したことを後悔するような言葉を口にします。それを聞いた主人公が、「そういうことを簡単に口に出してはいけない」と、厳しく諭す場面は、村上作品屈指の名シーンです)

