うれしいときー
自分がネットで買った瞬間
SOLD OUTになったときー
雨の中を歩いて
高宮浄水場そばの展望台へ。
結構な高さがあるので
下をのぞき込むと足がすくみます。
濡れると困る時の雨はイヤだけど
濡れてもいい時の雨は良いですね。
散歩用のカッパを買おうかな。
万博の閉会式を見て、じーんときました。行かなかったら、こんな気持ちにもならなかった。行ってよかったな。来場者2800万人のうちの1人になれたのが誇らしい。はじまる前のバッシングは何だったんだ。大屋根リングは本当に大きくてすごかった。閉会式で感動した気持ちを胸に、もう1度行きたい。もう終わったけど。
国語の宿題で毎日、教科書の音読がある。子供はいつも真剣に取り組んでいるので、こちらも真剣に聞くべきだけど、疲れている時はうわの空だったりする。昨日の宿題は、アーノルド・ローベルの『手紙』だった。ぼくははじめて聞く話だったから、子供が読みあげる物語に引き込まれた。そして、カエルくんがガマくんに書いた手紙の内容を読みあげる場面で、涙腺がゆるみそうになった。子供は、ぼくが密かに感動していることも知らずに、手紙を託されたカタツムリの足の遅いことを、楽しそうに話した。
万博に行った人が周りに増えてうれしい。万博の感想を聞くのがたのしい。9月以降に行った人の話を聞くと、ぼくが行った7月とはずいぶん状況が変わっているみたい。感想も人それぞれだけど、みんな口をそろえて「行ってよかった」と言う。ぼくも本当にそう思う。
って知ってましたか?
ぼくは知りませんでした。
だいたいのことを知りません。
自然派の強い味方。
井村屋のあずきバー。
うまい!

自然に触れる時間が不足してくると、あきらかに心と体の調子が下がっていくのがわかるので、油山に行って補給してきました。自然を見ていると、自然には醜いものなんてひとつもなくて、人間だけが醜いものを作り出しているんだなあと感じます。人がつくった美しいものを見て目を鍛えることも大切だけど、自然から学ぶことのほうがもっと大切な気がします。自然に囲まれて暮らすのが一番いいし、みんなそんなことは分かっているけど、仕方ないよね、今はこんな時代だから、と、諦めて暮らしているぼくたちですが、本当にずっとこのままでいいんかな?都市で暮らしていても、自然を意識して、自然に生きることはできますよ、と、この本は教えてくれます。
2年ほど履きこんだVANSのオーセンティック(白)が、良い感じにクタっとなって、風格が出てきました。VANSはボロボロのほうがカッコイイと思うけど、靴の綺麗さと社会的信用度は比例するので、そこが悩みどころです。特におじさんとボロボロの相性は最悪なので、じゅうぶん気をつけないといけません。でもやっぱり、VANSはボロボロのほうがカッコイイ。以前、何かの雑誌で見た記憶があるのですが、海外のセレブ(ラッパーの人だったと思う)が、白いスニーカーは1回しか履かないと言っていました。1回履いたら捨てて、また新品を履くそうです。資本主義の権化です。
ついに子供がマイクラをはじめた。すばらしいグラフィック!初日は勝手がわからず、どんどん歩いているうちに夜が来て、ゾンビに襲われた。ゾンビの攻撃を受けるとき、肉を叩く鈍い音がして怖かった。そしてサボテンが刺さって死んだ。2日目には洞穴に拠点をつくっていた。家は建てんと?と聞くと、建築はまだ早いと言う。洞穴の周りに、ゾンビ除けのたいまつを大量に設置していた。マイクラを開発した人は億万長者になっていて、お金を持ったことで孤独になり、ハッピーではなくなってしまったという記事を読んだ。それが本当かどうかはわからないけど。
休日の朝、子供と近所を散歩した。起きてすぐ、朝ごはんも食べずに家を出たので、散歩の途中でお腹が空いてきた。2人でいま食べたい理想の朝ごはんについて話し合った。その結果、理想の朝ごはんはこうなった。炊きたてのごはん、赤味噌のみそ汁、香ばしく焼いためざし、ふわっとした卵焼き。のりの佃煮もあれば言うことないね。出発した時は風が気持ちよかったけど、帰り着く頃にはもう暑くなっていた。マンションの階段でカマキリが死んでいた。土に埋めてあげようと子供が言った。
人から聞いたこと、本で読んだこと、ネットで見たこと、新しく入ってくる情報に対して、一度は疑ってみること。本当にそうだろうか?と。ただやみくもに否定するわけではなく、健全なギモンを自分に向けること。それは案外、生きていくうえで大事なことじゃないかと思います。ギモンを持つということは、自分の頭で考えるということだから。
8月2日 何気ないひとコマ
朝、リビングへ行くと、子供がテーブルに座って「万博の思い出ノート」を一生懸命つくっていた。そういう何気ない日常のひとコマに幸福があると思った。
8月4日 失敗
子供が布団を運ぶ手伝いをしようとして、植木を倒してしまった。フローリングに土が散らばる瞬間、時間が止まった。子供はごめんなさいと言って落ち込んだ。ぼくは深いため息をついて、無言で土を集めた。そのあとで後悔した。やさしく気にせんでいいよと言ってあげるべきだった。
8月17日 帰省
お盆休み最後の2日間は妻の実家で過ごした。早朝、福津の海岸を散歩した。魚が釣れそうな気配があった。そのあとナマズの郷に行ったけどナマズはいなかった。係員の人の話では、白鷺がナマズを食べてしまうそうだ。お義母さんが子供に鬼滅の刃を買ってくれた。ぼくと妻も便乗して読んでいる。
8月20日 トイカメラ
妻の友だち夫婦から、トイカメラをもらった(子供が)。デジタルで撮れて、すぐにロール紙に印刷できる優れモノだ。荒いモノクロプリントが良い感じ。ぼくも便乗して遊んでいる。
8月22日 コウモリ
鬼滅の刃の続きが気になるので、夕食後、子供と2人で歩いて黒木書店へ買いに行った。空は暗くなり始めていて、黒い物体がひらひらと舞っていた。よく見るとコウモリだった。
ぜんぜん釣れなくて、釣れそうな気配もなく、ただ惰性でルアーを投げ続けていると、少し離れたところから、じーーーーーというドラグの音が聞こえた。見ると、おじさんの竿が弓なりにしなっている。ドラグの音は鳴りっぱなしで、おじさんは必死でリールを巻いている。かなりの大物だ。すると、隣で釣りをしていた親子がおじさんのところへ近づいていき、間近で見学をはじめた。ぼくは嫌な予感がした。案の定、タモ入れを手伝いはじめた。まずいぞ。たしかにおじさんは苦戦している。でもそれは、釣り人にとって待ちに待った苦戦で、おじさんはタモ入れまで自分の力でやりたいかもしれないのだ。知らない人のおせっかいで魚を逃したら、きっと悔しくて眠れない。タモ入れに手間取っている様子を横目で見ながら、ぼくは1グラムのジグヘッドに、2.5インチのイージーシェイカーをつけて投げ続けていた。アジの気配はゼロだった。結局おじさんたちはタモ入れに失敗した。タモ入れは意外と難しいのだ。
朝、学校への行き道
何の話をするか
ジャンケンで決める。
みんな話したいことが違うのだ。
昨日は鬼滅の刃について話した。
今日は「みんなが話せる話にしよう」
と誰かが言ったから
ジャンケンはなかった。