もう随分前に買って、自分といっしょに何度か引っ越しも経験して、紙の色も変色したボロボロの文庫本って良いですよね。そういう本って不思議と紙から甘くていい匂いがします。中古で買った本の匂いは好きじゃないけど、自分で長い時間をかけて育てた本の匂いは好きです。
村上春樹さんの「螢・納屋を焼く・その他の短編」という短編集を、先日ひさしぶりに読みました。これもかなりボロボロです。
収録されている短篇はぜんぶ良くて、中でも「めくらやなぎと眠る女」が好きです。仕事をやめたばかりの25歳の主人公が、耳の聞こえづらい従弟の中学生といっしょにバスに乗って病院へ行く、たったそれだけの話ですが、バスを待つふたりの会話とその情景が、詩的でとても良いんです。
ぼくは「パターソン」のように、何も起きない静かな映画が好きで、この短篇はまさに何も起きないスロー小説。従弟の中学生がいいんですよ。しきりに「いま何時?」って聞いたりして。バスに乗る前、渡された小銭を大事そうにぎゅっと握る場面、良いんだよー。
自分の子供がいま4歳で、もしかしたら今がいちばん可愛い時期なのかなあ、なんて考えていたら「中学生の息子がいる人が、今もずっと可愛いって言ってたよ」と妻から聞いて、なんだそうなのかと安心したことを思い出しました。
この短篇は村上さんが34歳の時に書いた、かなり初期の作品です。安西水丸さんが描いた表紙の絵と題字も、すごく良い。
ちなみにこの題字、電話で本のタイトルを聞かされた水丸さんが、その場でささっとメモに書いたものだそうです。その後たくさん清書したけど、結局メモ書きのこれが一番良かったんだって。