マッコウクジラの真実に迫るドキュメンタリー映画『パトリックとクジラ 6000日の絆』のDVDが、3月18日に発売されます。当然、予約しました。白鯨をもうすぐ読み終えそうなタイミングでDVDが出るなんて、とても偶然とは思えない。
メルヴィルが本の中でしつこく描写する、マッコウクジラの「頭」のこと、「目」のこと、そして「知性」のこと、その答え合わせができるかもしれません。DVDが届く3月18日までに読み終えないといけない。残り157ページ、いけるか?
マッコウクジラの真実に迫るドキュメンタリー映画『パトリックとクジラ 6000日の絆』のDVDが、3月18日に発売されます。当然、予約しました。白鯨をもうすぐ読み終えそうなタイミングでDVDが出るなんて、とても偶然とは思えない。
メルヴィルが本の中でしつこく描写する、マッコウクジラの「頭」のこと、「目」のこと、そして「知性」のこと、その答え合わせができるかもしれません。DVDが届く3月18日までに読み終えないといけない。残り157ページ、いけるか?
夜中に目を覚ましてしまって、眠れないので『白鯨』を読む。下巻の最終盤になって、あの延々と語られるストーリーとは関係ない鯨学がようやく姿を見せなくなり、ついに物語が動きはじめました。しかし、白鯨はまだ、姿を見せていません。最後の最後に出てくるんでしょうね。いや、もしかしたら、このまま最後まで白鯨が姿を見せないという可能性もあるぞ。タイトル「白鯨」なのに。メルヴィルならやりかねん。

『ハリー・スミスは語る』
表紙の写真から怪しさ全開ですが、ハリー・スミスさん(1923-1991)の肩書きは、画家、映像作家、音楽学者、人類学者、魔術師、詩人、哲学者、錬金術師、蒐集家。ちなみに写真のタイトルは「牛乳を牛乳に変容させる錬金術師」(まったくもって意味不明)。
本を読んでも、ハリー・スミスさんがいったい何者なのか、結局よくわからないままでした。わかりやすさが最優先されてしまう(ツマラナイ)今の世の中で、こういう分類不可能な人が絶滅しかけているように思います。枠に収まらない人。AIに勝てるのは、きっとこういう人です。
ハリー・スミスさんの部屋は、書物やレコードや謎のモノたちで溢れ返り、彼の思考が丸見えになった神秘的な空間だったそうです。ミニマリストたちが見たらひっくり返るでしょうね。

いいねボタンがあったら、10回ぐらいプッシュしたい。四国の小さな山村で暮らす子供や、若者や、お年寄りたち15人に、27枚撮りの使い捨てカメラ(おそらく写ルンです)を渡して、1枚ずつにテーマを決めて撮ってもらったという、ユニークな写真集。写真ってこういうものだったよね、と、感動します。
同じシロウト写真でも、iPhoneで撮ったシロウト写真はとてつもなくツマラナイのにね。チャンスは1回だけ。テーマは「明るい色一色」「テーブルに用意した朝食」「お気に入りの靴」「あなたの右手」「水道から流れる水」「起きてすぐの寝床」などなど。当然、技術的にはヘタなんだけど、逆にプロにはこういう写真は撮れないでしょ、という魅力的な写真がたくさんある。
27個のテーマは書いてあるけど、どの写真がどのテーマで撮られたのかは書かれていません。「笑顔の人」と「一番好きな人」というテーマがそれぞれあるので、カメラに向かって笑っている人の写真が、どっちのテーマで撮られたのか、それは撮影者にしかわからないのです(ここで再びいいねボタンを10回プッシュ)。
■アウステルリッツ(W・G・ゼーバルト)
■ガリヴァー旅行記(ジョナサン・スウィフト)
■妄想(ルートウィヒ・ビンスワンガー)
■中原昌也 作業日誌 2004→2007(中原昌也)
■12枚のアルバム(中原昌也)
■偉大な作家生活には病院生活が必要だ(中原昌也)
■表層批判宣言(蓮實重彦)
■「ボヴァリー夫人」拾遺(蓮實重彦)
■失われた時を求めて1~5(プルースト)
■プルースト 読書の喜び 私の好きな名場面(保苅瑞穂)
■わたしを離さないで(カズオ・イシグロ)
■モーパッサン短編集(三)
■黒田三郎詩集
■國文学(中上健次と村上春樹)
■cairn(小林茂太)
■Phrase of Everything(ネルホル)
■KINO(リカルダ・ロッガン)
■Left hand Right hand(フルール・ファン・ドーデワード)
ぼくがもしキムタクのような容姿をしていたら、きっと『白鯨』なんか読まなかっただろう。キムタクじゃないから、何かにすがるように『白鯨』を読むのだろう。
面白くないのに、毎日読んでしまう感覚、自分でもその感覚がよくわからず、無理をして読んでいるわけでもなく、面白くなることを期待しているわけでもなく、ただ、読んでいます。今日も読みました。「よくわからない」という感覚が、心地いいのかも。

『中原昌也 作業日誌 2004→2007』が届いたので、早速読んでいます。90年代の音楽雑誌の片隅にノイズ音楽家としてよく登場していた中原さんは、この本を書いていた時はもう作家活動がメインになっていたようです。
日記には毎日のように、原稿を書くのがツライ、もう書きたくない、という愚痴が綴られ、そのストレスを発散するために大量のレコード、CD、DVDを買いまくり、お金が尽きると売りに行く。そしてまた買う。売る。朝まで呑む。ツライと愚痴をこぼす。悪口を言って絶望する。そして映画を観て泣く。その繰り返し。ものすごい量の知らない映画や音楽の名前が出てきて、知識欲も満たされます。
中原さんの人脈は相当広くて、毎日いろんな人に会います。孤独な人だと思っていたけど全く違った。しょっちゅう誰かから電話がかかってきて「今どこどこにいるから飲もう」と誘われる。仲間とファミレスで朝まで話しこむ。著名人もいれば、誰だかわからない人もたくさん出てくる。作家として、あの蓮實重彦さんからも一目置かれていて、氏と対談もしている。
それなのに、毎日ツライツライと塞ぎこみ、よくわからないCDやDVDを買い続ける。家賃が払えなくなって家を追い出されても、原稿料が入った途端に買う。中原さんは、決して買うことをやめない。知的好奇心の怪物が書いたすごい本。
あいかわらず面白くない。しかし、マッコウクジラへの興味はどんどん深まっています。とにかく奇妙で、不思議で、神秘的な生き物であると、メルヴィルがいろんな言葉を駆使して、しつこく訴えてくるからです。
仕事の時間、家族の時間、それ以外は本を読むだけのシンプルな人生ですが、いかんせん読書スピードが遅いため、積読が一向に解消されません。長編文学の場合、だいたい読み終えるのに半年かかるから、仮に『白鯨』を毎日読んだとして、1500円を日数で割ると、1日たったの8円!ところが、写真集はその逆で、あっという間に見終わってしまうのに価格は5千円以上もする。でも「必ず読破できる」というのは、写真集の長所かもしれない。

新書と同じくらいのサイズ感。雑誌のようにザラザラした紙に、断ち切りで印刷されている。『The Pillar』のように重くて立派なつくりが合う写真集もあれば、この『Self-Portraits』のようにラフなつくりが合う写真集もあります。
時系列で並べられた24年分のポートレートから、1人の人間の変化、人生までもが見えてきて、途中グッとくるものがあります。ぼくが一番好きなのは、左に丸坊主の長島さんがこちらをじっと見ている写真、右にマクドナルドでハンバーガーを頬張っている写真、のページです。
本の冒頭、長島さんはこう書いています。「わたしの作品を見るとき、彼らは彼ら自身の価値基準に基づいて、それを女の仕事とみなします。なぜなら、彼らはわたしがしていることを理解するための言葉を持たないからです」
彼らというのが全ての男性を指すのなら、ぼくも理解するための言葉を持たないということになります。理解できたか?と問われると、わかりませんとしか言えない。たとえ理解できなくても感動できる、それが芸術だと思います。
上巻を読み終えました。やっとです。面白くないです。いつか面白くなるだろうと思っていたけど、面白くならないまま上巻が終わりました。読み進めるごとに難解さが増していき、終盤は何を読まされているのかわからないほどでした。おそらく『白鯨』は、この先もずっと面白くないだろう。きっとそうだろう。メルヴィルはたぶん、そういう風には書いていないのだ。それでもぼくは下巻を読む。それが読書だから(きりっ)
時間の積み重ねでしか出せない面白さってあるなあ。長島有里枝さんが24年間、自分を撮り続けた『Self Portraits』もすごく良かったし、異常な分厚さでなかなか読む気になれなかったミシェル・レリスの『幻のアフリカ』も、読みはじめると面白い。
日記系で何か面白い本はないかと探していると、『中原昌也 作業日誌 2004→2007』という本を見つけた。ノイズ音楽家で、映画通で、文章も書く中原さんが、大量の本やDVDやレコードを買いまくる日々を綴った本。しかしすでに絶版。メルカリで買いました。あー。メルカリで買うと半分以上の確率で後悔するのに、またやってしまった。
鳥が勝手にやってきて、鳥の動きでシャッターが押されているわけだから、鳥自身が写真を撮っていると言っても過言ではない。
いまから40年前、宮崎学さんという日本の写真家が、森の中に自動センサーカメラを設置して、動物の死を撮った作品を発表したとき、「あいつは自分でシャッターを押していないから邪道だ」と、陰口を言われたそうです。時代が変わると評価も変わる。宮崎学さんはきっと早すぎたんですね。
早いといえば、20年前のSTUDIO VOICEに、スティーブン・ギルさんのインタビュー記事が載っています。「手で愉しむ写真集づくりのススメ」というタイトルです。
ギルさんは自分で写真集をつくり、自分のレーベルから出版しています。最後の最後までパソコンを使わないそうです。モニターから感知することと、実際に手で触れて眼で見ることは違う、と言っています。事実、「The Pillar」の写真は、モニターで見たネット画像のそれとは、まったく違うものでした。
おわり

届きました!すごい!想像していた写真の10倍カッコいい。本のつくりがとても良い。布カバーの質感、本の重み、スバラシイ。そして写真がほんとーーーに良い。スティーブン・ギルさん、ありがとう。丁寧に梱包、発送して、メッセージカードまで同封してくれたPOSTさん、ありがとう。最高です。
ついにスティーブン・ギルの「The Pillar」を買いました。いつか買おうと思いながら、なかなか手が出せず。実物を見ずに1万円超えの本を買うのはやはり勇気がいります。しかし、ついにやったぞ。
本はまだ届いていません。買っただけです。ファミコンに匹敵する値段の本を悩んだ末に買い、それが届き、実際に見てどう感じるのか?というドキュメンタリーブログです(なんじゃそれ)。
「The Pillar」を知らない方のために、一応かんたんに説明しておきます。
ロンドンで暮らしていたスティーブン・ギルという有名な写真家が、ある時スウェーデンの田舎に移住します。だだっ広い平原以外は何もないような場所で、いったい何を撮ればいいのか?と思案した結果、ギルさんは平原の真ん中に2本の杭を立てることを思いつきます。もしかしたら空を飛ぶ鳥たちが、杭を止まり木として使ってくれるかもしれないと考えたわけです。
そして片方の杭に、動きを感知して自動でシャッターを切るカメラを設置し、ギルさんはその場を立ち去ります。果たして、2本の杭と無人カメラは、どんな写真を撮ったのか?それが「The Pillar」に収められているのです。ワクワクしますね。
白鯨のことをぼくは「はくげい」と読んでいました。ところが、作中に「しろくじら」と呼んでいる場面が出てきました。どっちが正解なんだ?ChatGPTには聞かんよ。疑問のままにしておきます。
長かったクジラのうんちく話が終わり、乗組員たちの退屈な説明もようやく終わりました。海に出てから急に文章が難解になってきて、ぼくは何度も遭難しかけました。しかしついに、クジラと戦う場面がやってきた!クジラの群れを見つけるやいなや、3隻のボートで追跡します。手漕ぎです。あっさりとボートは転覆し、あやうく死にかけます。ワクワクするシーンのはずなのに、メルヴィルの文章が詩的で難解だから、面白さよりも、「難しい」が先に来ます。
クジラを追う物語ということで、「白鯨」のことをちょっと舐めていました。もしかしたら、あの「魔の山」よりも難解かもしれんぞ、これは。
年末に紅白歌合戦を見て
サカナクションの怪獣を聴いて
漫画『チ。』も買いました。
(ミーハー丸出しの流れ)
チ。の物語の中で
本を読むことの大切さを
説くセリフが出てきて
ぼくは胸が熱くなりました。
それはこんなセリフでした。
「本を読め。
物知りになるためじゃなく
考えるためだ。
無関係に見える
情報と情報の間に
関わりを見つけろ。
その過程に知性が宿るのだ」
写真論を見つけるとつい買ってしまいます。
ホンマタカシさんが最近出した
『新しい写真のために』も買いました。
もっと直接的に自分の仕事の役にたつ本を
買って読んだほうがいいんじゃないか?
という心の声よりも
読みたい!知りたい!
という気持ちのほうが
いつも勝るからです。
きっとムダではないはず
そう自分に言い聞かせています。
(ムダでもいいか)