小さなデザイン事務所のまじめなホームページ制作

本のこと

記憶のままでもよかったかもしれない

佐内正史さんの写真集『生きている』が、30年ぶりに復刊されました。ぼくは青幻舎の復刊希望フォームから『生きている』をリクエストしていたので、復刊が決まったときは歓喜して、すぐに予約しました。そしてついに手元に届き、やっぱりいい!と思いながらページをめくりました。その反面、記憶のままでもよかったかもしれないな、と思いました。決して期待はずれだったとか、もう好きではなくなったとか、そういうことではなくて、東京都写真美術館の図書室ではじめて見たときの感動があまりにも大きかったから、そのときの記憶・・・奥の書棚から職員さんがうやうやしく持ってきてくれた『生きている』を開いて、日産スカイラインを撮った1枚(世の中で一番カッコいい写真)に興奮して、そのあと1ページ1ページ嚙みしめるように見た記憶を、上書きしないほうがよかったんじゃないかと思ったのです。

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自作のしおり

子供が、切った紙を貼り合わせて、自作の「しおり」をつくった。その時につかった糊が、「失われた時を求めて」の2巻の表紙にいつのまにか付着していて、ドラえもんの表紙とくっついてしまった。そして、表紙の一部がピリリと剥がれてしまった。


ちょこっと破れているのがわかりますかね。あちゃーと思ったけど、あとできっと、あの時子供がつけた糊で破れたんだよなあ、と思い出せるからいいや。

それにしても、なんてすばらしい装丁なんだ!何度でも言いたい、ちくま文庫の『失われた時を求めて』の装丁の美しさは別格だと。作品世界を見事に体現していて、文句のつけようがない。

子供に「しおりをつくるなら、糊は使わないほうがいいよ」と言うと、今度は糊をつかわずに、イラスト入りのしおりを自作した。



「クマのプーさん」なのに、プーさんを描かないセンスに唸る。どれかひとつあげると言われたので、迷ったけど、銀河鉄道の夜を選んだ。

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失われた時を求めてを読む④

ついに1巻を読み終えました。深い感動。物語が面白いわけではないのに、というか物語らしい物語は無いに等しいのに。驚嘆するのはプルーストの表現力で、だれもが心の中に一度は感じたことのある感情を、いろんな言葉や比喩をつかって、的確に表現してくれるので、忘れていた感情(記憶)が自分の中に蘇ってきます。

1巻の終盤、語り手が昔を懐かしみ、自動車なんかよりも馬車のほうがエレガントでよかったと嘆いていて、そうか、昔の人も「昔のほうがよかった」と感じていたのか、いつの時代でも同じなんだなと思いました。それは単なる懐古趣味なのか、それとも実際にいろんなことがどんどんダメになっているのか、どっちなんでしょうね。

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すべての些細な事柄

ふとした時に思い出す記憶、なぜか忘れられない思い出、そういうものは大抵、日常の些細な事柄で、それを5000ページにわたって綴っているのが『失われた時を求めて』だと、夏葉社の島田さんは著書の中に書いています。

その話の中に、フランスのドキュメンタリー映画『すべての些細な事柄』も出てきます。精神科の療養所の日々の様子を撮った静謐な映画で、この映画を観たときにも、島田さんは深く感動したそうです。ぼくもどうしても観たいと思い、ネットでDVDを検索するも法外なプレミア価格がついていて、アマプラなどのネット配信も一切されていませんでした。

それで諦めていたのですが、ふと、ChatGPTに相談したところ、TSUTAYA DISCASでDVDがレンタルできると教えてくれました。なるほど、その発想はなかったな。しかも100円!神!このデータ配信時代に、わざわざDVDをレンタル配送するサービスをいまだ続けているところに、TSUTAYAの意地のようなものを感じて、ちょっと感動しました。

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失われた時を求めてを読む③

ここ数日で一気に100ページほど進みました。スワンがオデットへの嫉妬心から心の中で暴言を吐きまくるようになって一気に面白くなりました。やっぱり人間の醜い部分が見たいんだ!(そればかりだとイヤになるけども)。

オデットのことを最初は美しいと思っていないのに、いつのまにか好きになり、やがて愛憎が入り混じっていくスワンの心の描き方がすばらしい。500ページまできて、やっとプルーストの世界に入り込めたという手ごたえを感じています。

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失われた時を求めてを読む②

半年たって、まだ1巻の半分までしか進んでいません。これまで読んできた文学作品の中で、最も苦戦しています。『白鯨』も『魔の山』もつらかったけど、『失われた時を求めて』のほうが断然きつい。

途中、はっ!となる箇所はあるけど、基本的に物語らしい物語がないから、自分がいったい何を読んでいるのかわからなくなります。登場人物のこともはっきりと描かれないから、だれのことも好きになれず、ただただつらい。つらい!

有名な「マドレーヌを紅茶に浸して記憶がよみがえるシーン」も読んだはずだけど、特に印象に残ってないなあ。大丈夫か?あと9冊もあるけど。しかし、あとで振り返ると、この苦しい道程の中にこそ、喜びがあったとわかるのです。

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地球のパワーに乗る

尊敬する浅井健一さんがラジオに出演した際(イカ天時代からずっと浅井さんを見ている側からすると、ラジオで穏やかにしゃべっているのが奇跡のように思える)、趣味でときどきサーフィンをやっているという話をはじめました。

そして「波に乗るっていうことは、何に乗っていると思いますか?」と、なぞかけみたいなことを言うので、何って・・・水じゃないの?と思いながら聞いていると、「あれは地球のパワーに乗っているんですよね、だから元気になるんです」と言っていた。そうだったのかー。

ハワイで波に乗るサーファーたちを撮った写真集『BIKE PATH』を見ると、たしかにそう見えます。地球が生み出すパワーに乗っているように見える。

BIKE PATH

BIKE PATH

BIKE PATH

BIKE PATH
(Arto Saari)

美しい!と思う反面、怖さも感じます。写真集には、屈強な肉体を持つサーファーたちの姿も収められていて、中には顔に深いキズを負った人の写真もあります。それすらも、美しいと思ってしまいました。

地球のパワーに乗ったらどんな気持ちがするのか興味があるけど、ぼくは水泳が苦手だからなあ。以前、友人たちと四国でキャニオニングをやって、小さな滝つぼの中へ飛び込んだとき、水の渦に巻き込まれて怖かったです。

でも人生で一度くらい、地球のパワーの上に乗ってみたいかも。浅井さんの話を聞きながら、そう思いました。

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失われた時を求めてを読む①

『失われた時を求めて』は、長い読書になりそうです。3か月前に購入して、まだ200数ページしか進んでいません。ゴールを意識すると気が遠くなるから、まずは1巻を読み切ること、それを意識して、プルーストの複雑な文体に手こずりながら、ちびちびと読み進めています。

ぼく「小説のラスボスやけん、読み終わるのに10年ぐらいかかるかもしれんよ」

子供「え、10年?10年っていったら、ぼくを育ててる時間より長いやん」

自分が育てられているという自覚があったのか。ちょっと笑ってしまった。

『長い読書』の著者である島田さんは、プルーストについてこう書いています。「若いぼくは何度もため息をつきながら、『失われた時を求めて』を読んだ。これ以上にすばらしいという小説をぼくはまだ読んだことがないし、これからもきっと、読まないだろう」(「長い読書」島田潤一郎 P67より)

この一文を読んで、ぼくも読もうと決心したのでした。島田さんと同じ、ちくま文庫版(井上究一郎訳)で読んでいます。

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本当の気持ちが書いてある

問い詰められたおじさんの答え

『問いつめられたおじさんの答え』(いがらしみきお)

「どうしてみんな、携帯ばっかり見てるの?」「どうしてこんなに暑いの?」「人はどうして死んじゃうの?」などなど、子供からの純粋な質問に、漫画家のいがらしみきおさんが真摯に答えるという本。全編軽やかで、笑えて、しかし、深い内容でした。

特に、震災や核爆弾に対するいがらしさんの本当の気持ちは、むむむ、なるほど、そうか、しかし、うーむ、と考えさせられました。ネットには書けない内容だけど、本でなら書ける、本だからこそ読める、という本の存在価値を感じました。

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異国で暮らす

『遠い太鼓』(村上春樹)

ローマ、ギリシャ、ロンドン、いろんな国の、いろんな街で暮らした村上さんの文章を読みながら、ぼくも行こうと思えば、好きなところへ行くことができるんだよな、と思いました。だれにも鎖なんてないのだ。クレタ島の小さな村の食堂で、夕焼けを眺めている村上さんのところへ村の子供たちがやってきて、ちょっとカンフーやって見せて、カンフーできるんでしょ、と言う、村上さんは、もちろんできるよと嘘をついて、アチョーーとやってみせる、子供たちはやっぱりねという顔で満足して帰っていく、というエピソードが好きです。断崖絶壁のぐねぐね道を走るバスの運転手と車掌が、チーズ片手にワインを飲みはじめて酔っ払ってしまい、乗客にもワインが振る舞われ、走るバスの中で酒盛りがはじまってしまう、というエピソードも面白いです。さすが、経験レベルが違いますね。

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鶏まみれ

鶏まみれ

『鶏まみれ』(繁延あづさ)

『ニワトリと卵と、息子の思春期』の続編。リストラされた旦那さんが養鶏をやると言い出して、それに巻き込まれるカタチで、作者の繁延さんは食肉を扱う資格をとるために、食肉処理場で3年間アルバイトをします。

そこには、全身血まみれになりながら、生きている鶏を肉にする人たちがいた。次から次に流れてくる鶏たちを、ひたすらナイフで絶命させていく「首切り」という仕事。繁延さんは血で真っ赤に染まった自分の姿に驚き、打ちのめされ、なんて凄い仕事なんだ、なんてとうとい仕事なんだ、と感じます。

どうして「とうとい」と感じたのか。それは本を読めばわかります。生きるために殺すという大変な行為を、だれかにやってもらっていることは知っていたけど、本当には知らなかった。

旦那さんがはじめた養鶏場のことも並行して綴られます。3人の子供たちは、鶏舎の設営を手伝ったり、鶏の世話をしたり、卵のパック詰めをしたり、ヒヨコの群れといっしょにミミズを探したりします。めちゃくちゃ羨ましい。ニワトリがいる生活、憧れます。雄のニワトリのカッコよさ!

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小倉駅ナカ本の市

子供とふたりで「小倉駅ナカ本の市」へ。端から見ていくと、いきなり楳図かずおの『漂流教室』全巻セットがあって、子供とふたりでむむむ!となり、一度手にとるも、いやいや、いったん落ち着こう、まだ来たばっかりだし、他に買いたいモノが何も無かったら、その時は買って帰ろう、と棚に戻しました。

そのわずか1分後、「おとうさん、漂流が無くなってる!」という子供の声。(ヤラレタ!)先ほど我々が漂流教室を見つけてむむむ!となっている時、斜めうしろからじっとこちらを見ている人影には気付いていたのです。ああ・・・

しかし、『エリック・ドルフィー(昌文社)』の発見を皮切りに、『バルト 美術論集(みすず書房)』『遠い太鼓(村上春樹・単行本の初版)』『チベット密教(ちくま学芸文庫)』『我が詩的自伝(吉増剛造)』などなど、子供の本もふくめ良本を次から次に発掘。すぐに痛みは消え去ります。

結果的に満足して帰ったけど、あのとき、漂流セットを他人に抜かれた棚を見たとき、なんともいえない気持ちになったなあ。それと同時に、自分の中にある強欲さも見えてしまった。そんな出来事。

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詩をどう読めばいいのか

詩の構造についての覚え書

詩ってわからないですよね。「詩的なもの」はわかるけど。トマトは苦手、でもトマト風味は好き、みたいな。詩の良さをわかりたい、という気持ちはずっとあって、それで詩集を読んでみたり、詩を論じた本を読んでみるのですが、一向にわかりません。

ちくま学芸文庫から復刊された『詩の構造についての覚え書』(入沢康夫)を読んで、詩がわからないのは当たり前だったんだ!と、一気に腑に落ちました。入沢さんは言います。「詩を読むという行為は、詩をつくる行為と質的には等価、あるいはそれ以上の行為だ」と。

詩が一般的に読まれない現状を揶揄して、よく「詩の読者は、詩人しかいない」と言うそうですが、詩人じゃないぼくらが、詩を読むことに苦労するのは当然で、詩をつくるのと同じくらいの時間、労力、態度をもって向き合うことが、「詩を読む」ということなんですね。はー(白目をむきながら)

詩人という言葉から、ぼくはいつも「ディック・ノース」のことを思い浮かべてしまいます。ディック・ノースというのは、村上春樹さんの小説『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる、片腕の詩人です。

ディック・ノースは善良な男で、1本しかない腕を器用に使ってサンドウィッチをつくり、家事全般をそつなくこなす好人物ですが、どこか胡散臭い凡人として描かれます。ユキという13歳の少女からは、軽蔑すらされています。何も悪いことをしていないのに!そのせいでぼくは、「詩人=胡散臭い人」という、間違ったイメージを持ってしまいました。今はそんなこと、思っていません。

(余談ですが、ディック・ノースは交通事故で死んでしまいます。ユキは、生前の彼に冷たく接したことを後悔するような言葉を口にします。それを聞いた主人公が、「そういうことを簡単に口に出してはいけない」と、厳しく諭す場面は、村上作品屈指の名シーンです)

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ボヴァリー夫人

フローベールの『ボヴァリー夫人』読了です。死ぬまでに「世界10大小説を読む」というミッションを自分に課していて、これで4作品を読み終えたことになります。

『ボヴァリー夫人』のあらすじは有名で、田舎暮らしに退屈した女性が不倫と贅沢に走り、最後は破滅して自害するという、本当にあらすじだけを見るとなんてことない、まるで昼ドラのような(昼ドラって今もやってるんですか?)、あまり読む気になれないストーリーですが、読みはじめるとグイグイ引き込まれました。共進会のシーンと辻馬車のシーンはすごかった!

エンマは愚かすぎる。シャルルはお人好しすぎる。オメーは隣人にしたくない人ナンバーワン。いんちき手術で片足を失ったイポリットはもっと怒っていい。ロドルフとは一生友だちになれない。レオンはただの小僧。使いみちのない器づくりに打ち込む実直なビネーが一番好き。

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ローファイな写真

KINO Ricarda Roggan

『KINO』Ricarda Roggan

リカルダ・ロッガンというドイツ人アーティストが、夜の映画館のスクリーンに映し出される、カーチェイスシーンや爆破シーンを、カメラでこっそり撮影した写真集。ザ・映画泥棒です。

暗闇で撮っているせいか、画質は荒く、対象が鮮明に写っていない、とてもアナログ感の強い写真です。ぼくはこういうローファイな写真が大好きなのです。

セロハンテープで補修したような装丁もGOOD。

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フランシス・ベイコン・インタビュー

日美の「私とベイコン」を見て以来、ベイコンの絵が気になりはじめて、毎日のように画像を見ていると、気持ち悪さよりも、造形の美が見えてくるようになりました。すごいな、ベイコンの絵。なんで今まで気付かなかったんだろう。実物の大きな絵を見たら圧倒されそうです。

もっとベイコンのことを知りたくて、『フランシス・ベイコン・インタビュー』(ちくま学芸文庫)を読みました。ベイコンは頻繁に「偶然性」を口にし、自分の絵のフォルムは偶然できる、自分は画家というより偶然が生じるための媒体だ、と言います。

偶然性を得るために、ベイコンは絵の具を手のひらに絞り出して、絵に向かって投げつけたそうです。インタビュアーが「1枚の絵に対して何回ぐらい絵の具を投げつけるのか?」と質問すると、ベイコンは「頻繁に投げつけることもあるし、たった1回で絵がよくなることもある」と答えます。このくだりはシュールでちょっと笑えます。

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無限のエコー

中学生の時、『中原中也詩集』をお小遣いで買いました。詩に興味なんてないのに、どうして買ったのかというと、お小遣いをアップしてもらうためです。こんなに有意義な使い方をしているんだぞ、というアピールです。

買ってきた詩集を見せると、母親は国語の教科書にも出てくる「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」のところを声に出して読み、「なつかしい」と言いました。お小遣いアップに成功したかどうかは、覚えていません。

他のマンガや本は、売ったり捨てたりしてほとんど残っていないのに、『中原中也詩集』だけは、なぜか手放すことなく残り続けました。そしていま、50歳になったぼくが読んでいます(50歳になってもよくわからない)。

きっかけは、詩人の吉増剛造さんの『詩学講義 無限のエコー』(吉増さんが慶応義塾大学でおこなった講義をまとめた本)で、中原中也さんの詩を深く掘り下げていたから。

詩学講義 無限のエコー(吉増剛造)

ブックデザインは服部一成さん!

ぼくは、思考の揺れ(思考があっちに行ったりこっちに行ったりする動き)を制御せずに、どんどん言葉を重ねていく吉増さんの語り口が好きです。『詩とは何か』は名著だと思います。

授業でも、吉増さん独自の語り口はいかんなく発揮されていて、話題はあっちに行ったり、こっちに行ったり、ちょっと語り口を強調しすぎな面もあるにはあるけど、こんなに面白い授業が受けられるのなら、大学に行ってみたかったな(行ける学力があったかどうかは別として)、と思います。

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銛打ちのインディアン「タシュテゴ」

銛打ちのインディアン「タシュテゴ」

もし、『白鯨』という、あの巨大な奇書を読んでみようかな、と思っている人がいたら、本の前に映画(1956年公開版)を観るのもアリかもしれません。アマプラで観ることができます。

ぼくは当時の捕鯨文化について、まったく無知なまま読んだので、なかなか捕鯨のシーンを頭に思い浮かべることができず、苦労しました。読み終えたあとに映画を観て、そうか、捕鯨船ってこういう船だったのか、クジラを追いかけるボートって、こんなに小さかったのか!と、驚きました。

なので、先に映画を(捕鯨シーンだけでも)観ておくと、読みにくさでは他の追随を許さない『白鯨』が、少しは読みやすくなるのではないかと思います。少しはね。

『白鯨』には、3人の銛打ちが出てきます。全身刺青男のクィークェグ。巨体の黒人ダグー。インディアンのタシュテゴ。彼らは誇り高い勇敢な銛打ちで、巨大なクジラにギリギリまで近づき、その体に銛を打ち込むのが仕事です。

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白鯨を読む⑫ – 完結

ついに『白鯨』を完読しました。あれだけ、面白くない、つらい、と愚痴をこぼしながら読んできたのに、いまは「すごい作品を読んでしまった!」という気持ちです。達成感よりも、喪失感のほうが大きいです。『白鯨』を読む日々が終わってしまって寂しい。まだまだずっと、読んでいたかった。

ほんとうに変わった小説で、1000ページの半分は、物語と関係のない、まるで論文のようなクジラのウンチクが占めています。多くの人が「なんじゃこれ?」と挫折するそうです。ぼくも読んでいて「なんじゃこれ?」と思いました。クジラの骨格の話とかどうでもいいから、はやく話を進めてくれ!とイライラしました。

でも、あれがあるからこその『白鯨』で、読後の感動は、あの苦しい時間(まるでエイハブ船長たちの長く退屈な航海と同じように苦しい時間)を体験したからこその感動なんですよね。あまりにも大きすぎて、まだ掴みきれていないと思うので、いずれ再読したいです。

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白鯨を読む⑪

ついに、白鯨(モービィ・ディック)が姿を現した!

もうこのまま登場せずに終わるのかと思ったよ。残り50ページ、ついに、ようやく、現れました。まるで神のような威厳を示す巨大な白鯨「モービィ・ディック」。これまで嫌になるほどクジラの知識を叩きこまれてきたおかげで、モービィ・ディックの異様な姿、怖さ、神々しさを、しっかりと頭の中にイメージできます。

モービィ・ディックが出現した海は日本の近くで、メルヴィルは「閉ざされた国、日本」と書いています。『白鯨』が書かれた1851年、日本はまだ鎖国状態だったんですね。

そして格闘がはじまり、人間の無力さをあざ笑うモービィ・ディックの一撃で、捕鯨ボートはいとも簡単に真っ二つにされ、エイハブ船長は海に投げ出されてしまった。クライマックスだ!完全にクライマックスだ。長い長い退屈な940ページを辛抱強くめくり続けてきたご褒美が、いま目の前に差し出されています。

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