「約束された場所で」
はとても面白かった。
そしていま「灯台へ」
を読んでいる。
■灯台へ(ヴァージニア・ウルフ)
■エクソフォニー 母語の外へ出る旅(多和田葉子)
■約束された場所で(村上春樹)
「灯台へ」というタイトルと、ヴァージニア・ウルフっていう作家名から、もう名作の匂いしかしない。きっと良いに違いない。
外国語で書かれた文学を別の言語で書くことは、もはや創作だろうと思います。菅啓次郎さんが「翻訳の詩学」という言葉を使っていて、もとの言語から離れて別の言語で表現されるとき、いったん死にかけた言葉が生まれ変わり、そこにあたらしい詩が宿る、みたいなことを言っていた。なるほど。そんな翻訳の詩学について書かれた本として、多和田葉子さんの本が紹介されていたので買ってみました。
村上春樹さんの「約束された場所で」は、オウム真理教の信者の方に、村上さんがインタビューをした本。地下鉄サリン事件の被害者側を取材した「アンダーグラウンド」のほうが有名だけど、そっちはまだ読んでいません。
村上ファンとして、オウム関連本を執筆していたあの時代を、ぼくは完全にスルーしてきました。ちょっと否定的な目で見ていました。そんなことやっていないで、普通に小説を書いて欲しいと思っていました。でも最近になって、なぜ村上さんがあんなに熱心に取材をして、本を書いたのか、それを知りたくなりました。
アジアカップが地上波のTVで放送されない悲しさ。決勝トーナメント1回戦も放送しないだって?なんてこった。トーナメント表を見てぼくは驚いた。そこにパレスチナの名前があったから。国が大変な状況にも関わらず、出場して、さらに勝ち上がってくるなんてすごい!
「ガザに地下鉄が走る日」を読んでから、パレスチナのことがずっと頭の片隅にある。たかが本を1冊読んだだけで、分かった気になってはダメだけど、自分の無知さを思い知って動揺した。
パレスチナの人たちは、アジアカップの試合を観ることはできるのかな?日本でぬくぬくと暮らしているぼくたちが見られないんだから、きっとテレビ観戦なんて出来ないだろうな。代表チームが勝ち上がっているというグッドニュースが届いていると良いんだけど。
ナクバ(イスラエルによる一方的な占領)から17年、いつか誰かが自分たちをパレスチナに連れ戻してくれることを夢見て、失ったものを恋しがりながら難民という境遇に甘んじていた親の世代とは対照的に、ノーマン(何者でもないもの)として難民キャンプの泥土のなかで成長した難民二世の子どもたちは、家族の糊口をしのぐために自分の人生を犠牲にするのではなく、パレスチナを取り戻すために、命を賭して戦うことを選んだのだった。
彼らは「難民」という人道問題であることを止め、祖国の解放とそこへの帰還のために銃をとり、解放戦士たちとなってこの世界の前に立ち現れることになる。彼らを難民キャンプという砂漠の辺獄に留めおき、その存在を安らかに忘却していた人間たちの喉元に銃を突きつけ、この世界の安寧を揺さぶる彼らを、世界は「テロリスト」と呼んだ。何者でもなかった者たち、人間ならざる者たちが、人間として、政治的主体として、この世界に存在を刻みつけた瞬間だった。
『ガザに地下鉄が走る日 – P37より』
人間の土地の第5章、よかったなあ。特別なストーリなんて何も無いのに。古い家の様子、家人の様子、食卓の様子、それらがただ描かれているだけなのに。でもそこにはすばらしい文章がある。
作者のサン=テグジュペリさんはもちろん、翻訳者の堀口大學さんも素晴らしいな!ぼくは翻訳なんて出来ないけど、それがいかに難しいかぐらいわかります。特に文学作品の翻訳は。
映画パターソンのラストシーンで、永瀬正敏さん演じる詩人が「詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びるようなものだ」と言います。真実かもしれない。でも原文を読むことができないぼくは、堀口大學さんが訳してくれた文章を浴びるしかないわけで、原文を知らないぼくは、レインコート越しではなく、裸に直で浴びているつもりです。
そして「訳す」なんて軽く言いたくはない。文学作品の根幹である文体は、堀口大學さんのものなんだから。ぼくが好きな言い回しは「なぜかというに」です。『お世辞もきかなかったはずだ、なぜかというに、彼女たちは、虚栄を知らないのだったから』という具合に。
著作が少ないサン=テグジュペリだから、読み終えるのがもったいなくて第4章で止めていた「人間の土地」の読書を再開しました。読書感想文は本来1冊読み終えてから書くべきだけど、いま、第5章を読み終えたばかりのこの興奮を、いま書き留めておかないと忘れてしまうから。わずか11ページしかない第5章に感動した!(小泉純一郎氏が土俵で叫んだあの感じで再生してください)。不時着したアルゼンチンの村で、古いお屋敷に泊めてもらった晩のエピソードがめちゃくちゃいい。床に穴が開いていることを説明したり言い訳したりしない家人の精神、それを理解して好むサン=テグジュペリの感覚。それを読んでいる令和時代のぼくも、本の中で彼らと静かに繋がった!そういう感覚がありました。人間の土地は宮崎駿さんも好きな本で、それは飛行士が主人公というせいもあるけど、きっとこの第5章のことも駿さんは好きに違いない。確信があります。
いまぼくは47歳で、やがて50歳になり、55歳になり、60歳になる。その時、仕事の依頼は来るのかな?尊敬する宮崎駿さんのように、いくつになっても自分の手を動かして作り続けたい気持ちはあるけど、世の中は年をとったぼくを必要とするのだろうか?
もし必要とされたとしても、それは経験や頭が必要とされていて、ぼく自身が手を動かすことを求めているわけではないだろう。たぶんそうだろう。それに、今はずっと手を動かし続けていたいと思っていても、実際に年をとったら動かなくなるかもしれないし、もーやってられん!と言って、マウスを壁に叩きつけているかもしれない。それはわからない。
ライター業をやりながら米作りをはじめ、やがて猟師にもなった人が書いた本『アロハで猟師はじめました』で著者が、出版不況で食えなくなったという理由でライター業を辞めていく仲間たちに疑問を感じる場面がある。今までライターをやっていたのは、文章を書いていたのは、単に食うためだったのか?生き方のハナシではなかったのか?と。そして著者は「生きるために書くのではない、書くために生きるのだ」と宣言する。
自分が60歳になった時どうするのか?どうしたいのか?求められようが求められまいが、何かをつくるために生きることが出来ていたら良いんだけど。
今月の3冊。
■老人と海(ヘミングウェイ)
■本の虫二人抄(古田一晴・劉永昇)
■僕の歩き遍路 四国八十八ヶ所巡り(中野周平)
手元にある「悲しき熱帯」が
ぜんぜん進んでないけど
そこは無視して今月も3冊購入。
決めたことは可能な限りやり続ける。
そんな自分にシビれます。
本の中にたった一行でも
自分の心に響く言葉があれば
ぼくはそれだけで
その本を買った意味があると思う。
たった一行のために1500円は高い?
たったひと言で人生が変わることもアルヨ。

レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」が相変わらず進まない。妻から「最近その本よく読んでるね」と言われるくらいには読んでいるはずなのに、まだ110ページしか進んでいない。あと650ページも残ってるぞ。完読するのはいつになるんだ?
レヴィ=ストロースはこの本を、47歳の時(ぼくと同じ年齢だ)たった4ヵ月で書き上げたらしい。これまでに集めてきた断片を、時間軸を無視して一気におりゃーと書いたらしい。難しい人が、難しいことを、難しく書いて、しかも編集していないとなると、ぼくのような凡人が読むのに苦労するのは当然だ。
高校生の時、通信講座でギターを練習した。月に一度カセットテープと教科書が送られてきて、テープの音に合わせてギターを弾いた。その通信講座の方針は「あえて難しいフレーズを先に練習することで、それよりも易しいフレーズが楽に弾けるようになる」というものだった。たしか2回目か3回目くらいの講座で、いきなりディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」のギターソロを練習させられた。
繰り返しやったけど弾けなかった。めちゃくちゃ難しいのだ。結局弾けないまま、次の教材が届いた。次に取り組むギターソロはハイウェイ・スターよりも簡単だった。ぼくの指は意外なほど動き、あっさりとマスターすることができた。その成功体験は、ぼくの人生に大きな影響を与えた。「悲しき熱帯」のような難解な本と向き合う時、いつもハイウェイ・スターを思い出す。
来月の3冊です。
ちょっとフライングしました。
■悲しき熱帯2(レヴィ・ストロース)
■ガザに地下鉄が走る日(岡真理)
■いい匂いのする方へ(曽我部恵一)
「悲しき熱帯」はまだ1のほうを
半分も読めていない。
なぜか?難しいから!
必死に文字を追うけど全然入ってこない。
しかしこのまましがみついていれば
どこかへ連れて行ってくれるという
予感だけはビリビリと感じています。
「ガザに地下鉄が走る日」は
パレスチナ問題のことを
知りたいと思い手に取りました。
まさに今読んでいるけど
まだ上手く言葉にできません。
ぼくは本当に何も知らなかった。
この本については、また改めて。
「いい匂いのする方へ」は
サニーデイサービスの曽我部さんが
書き下ろしたエッセイ本。良い!
あえて推敲しないデモテープ状態のまま
出版したという曽我部さんの文章は
とても正直だ。大丈夫?と
心配になるぐらい正直だ。
だからとても信用できる。
信用できる文章というのはあります。
たとえば芸人さんが書いた本は面白いけど
彼らはつい文章で笑わせようとするし
読み手へのサービス精神が時に過剰になって
どこか嘘っぽい空気が漂う。
たったひとつでも
嘘っぽさがあると
全部がダメになる。
それは我々の仕事にも
言えることなんですけどね。
吉増剛造さんの本「詩とは何か」は
吉増さんが詩とはこういうことですよと
やさしく教えてくれるわけではなく
ぼくたちの日常にふっと現れる
言葉にはできない詩的な何かを
懸命に探っていく本です。
だから詩に限らず
いろんな分野に話は及ぶし
あのジミヘンまでもが
詩的な対象として語られていて
とても面白い。
ネットレビューを覗いてみると
「結局、詩とは何かが書かれていない」
という低評価レビューを見つけて
ズコーっとなりました。
吉増さんはこの本の中で
芸術とは作品よりもむしろ
そこへ辿りつくまでの道程にこそある
というようなことを言っていて
ぼくは「はっ!」となったわけですが
音楽家のジム・オルークも
全く同じようなことを言っていて
作品なんて捨てていいとまで言っています。
言うだけで捨てていないと思いますけど。
先日読んだ松本大洋さんの
東京ヒゴロという漫画にも
作品を完成させて評価されることより
作るためにもがいた道程の中にこそ
喜びがあると書かれてありました。
今月の3冊。
■タコの心身問題(ピーター・ゴドフリー・スミス )
■国境を超えるためのブックガイド50(小川忠)
■万延元年のフットボール(大江健三郎)
■夕べの雲(庄野潤三)
■うんこ文学(頭木弘樹・編)
■悲しき熱帯(レヴィ・ストロース)
あれ、MARUZENを彷徨っているうち、気が付くと、6冊もカゴの中に入っていた!
「タコの心身問題」によると、タコには心(意識)があるらしい。昔、夜釣りをしていると、ルアーにタコが引っかかってきたことがある。暗闇で見るそれは、まるで地球外生命体のようだった。不思議な生き物だ。
庄野潤三作品は「プールサイド小景」「ザボンの花」に続き3冊目。ぼくの好きな、何も起きない日常文学。寝る前にちょこっと読んで、ほっこりしてから寝るのだ。
「うんこ文学」は、うんこを漏らしてしまった悲しみを綴った文学作品のオムニバス。先日うっかりこれを持ったまま定食屋へと入ってしまい、しまった!と思って慌てて隠した。読む場所を選ぶ危険な本だ。でも面白い。
ぼくがブックガイドとして信頼している「本は読めないものだから心配するな」の中で、著者の菅啓次郎さんは、本に「冊」という単位はないと言っている。本は物質的に完結しているフリをするけど騙されるな、すべての本はつながっている、というわけ。
あっちを読んだり、こっちを読んだり、本から本へ、その日の気分で、流れるように読んでいく。そのためには、未読の本を積み上げておく必要があるのだ。(本を買う人の言い訳として)
東京ヒゴロ3巻が届きました。発売日に届きました。Amazonの物流システムに感謝!そして結論から言わせていただくと、東京ヒゴロ3巻は最高でした。一話目から心が震えました。一巻、二巻、ずっと良かったけど、この三巻で、これまで丁寧に紡いできた物語がスパークして(と言っても表現は地味でリアルですばらしい)たましいがブルブルします。こんな漫画が1705円で読めていいんですか?もはや漫画というより、上質な映画を観終えた気分です。とても映像的です。いや、ぼくは漫画を知らないから、塩澤さんに言わせれば、本物の漫画は映画に比肩しうる、または超えるものなのかもしれません。ね、塩澤さん!
ドラえもんの3巻が売っていない。
1巻から順番に買っていって
いま6巻まで揃っているけど
3巻は歯抜けのままです。
よし、今日はドラえもんを
買ってあげようと思って
書店へ行くとなぜか決まって
3巻だけがない。
「禁書になってるんじゃない?」と
冗談めかして妻は言うけど、まさかね。
3巻のジャイアンだけ狂暴が過ぎて
今の時代的にアウトになったとか?
石川直樹さんは写真家だけど、冒険家と呼びたくなるような人だ。かなり壮絶な体験をしているのに、著書の「地上に星座をつくる」では、それらの出来事をドラマチックに表現せず淡々と書いていて、それが逆に凄みを感じさせるようなところがあります。
ヒマラヤ登山をライフワークにしながら、知床にも頻繁に通っていて、知床ファンのぼくはそれがうれしい。もちろん、ぼくのような一般観光者とはレベルの違う体験をしています(羅臼岳でヒグマのそばで一夜を過ごしたり)。いつか冬の知床にも行ってみたいな。
石川さんが、ヒマラヤ山脈のひとつ「マナスル」に登る映像を観ました。
https://www.youtube.com/watch?v=SHT4DZka9cU
すごい。こんな体験をしてしまうと、自分の中身がすっかり変わりそうです。ヒマラヤを登ったことがある人は、登ったことがない人とは、もはや友達になれないんじゃないか?そして、何日間もかけて山を登る間、トイレはいったいどうしているんだろう?
そういえばあのイモトアヤコさんも、マナスルに登ってるんですよね。すごい人です。そして一緒に登ったディレクターの方と結婚したというのも頷けます。
映像を見たぼくはいてもたってもいられなくなり、ヒマラヤ行きのチケットは買わずに、石川さんの写真集「Manaslu」を買いました。とても良いです。命をかけて登った先で、やり直しの効かないフィルムカメラで撮る。覚悟がすごい。
なんだこのサイトは?
本屋?読書好きの本紹介?
だれが何のために?よくわからない。
久しぶりにインターネットで興奮しました。
https://biblioapartment.com/
すごいものを見つけてしまった。
教えたくないけど、教えます。
すごいぞ。
毎月かならず3冊本を買う。
( そして可能な限り読む )
ぼくが設定した今年の目標です。
今のところなんとか継続できています。
読みたい本がある時はいいけど
無い時は非常にこまります。
何でもとにかく買ってしまえば
目標達成にはなるんだけど
読みたくない本は買いたくないし
できれば「今」本当に読みたいものがいい。
となると1ヵ月に3冊って
意外と簡単ではないです。
今月はこの3冊にしました。
■庭とエスキース(奥山淳志)
■悲しみの秘儀(若松英輔)
■はじめて考えるときのように(野矢茂樹)
なかなか良いチョイスじゃないかと
密かに手ごたえを感じています。
庭とエスキースはずっと読みたくて
でもこの値段でハズレだったら嫌だな
と考えてぐずぐずしていましたが
今月ようやく買いました。
みすず書房の本って高いんですよね。
ちなみにみすず書房のウェブサイトは
とても良く出来ていて、出版社の
ウェブサイトの最高峰だと思います。
これをつくる労力を想像しながら
いったい制作費はいくらなんだろう?と
下世話なことを考えてしまいます。

WEBメディアを持ちたいという気持ちは、ハラプロをはじめた13年前からずっとあって、その後忘れたり、思い出したり、をくり返しながら、実現できぬまま今日に至っていて、最近またそれについて考えはじめていました。未来をイメージした時、10年後の自分が小さいながらもコツコツ10年育ててきた愛すべきWEBメディアを持っている自分だったら良いな、と考えたりしていました。
WEBサイトをつくる技術も、運営するノウハウも、ほとんど人のために使ってきたけど、そろそろ自分のために使ってもいいんじゃないか、自分のために作ったWEBサイトを、自分の手で日々運営することができたらいいだろうな、と考えたりしていました。
そのために何からはじめようかなと考えた時、このブログだってメディアと言ってしまえばメディアなんじゃないかと、ぼくのことを知っている人だけがたまに見てくれる、インターネット僻地にある小さな個人的ブログですが、それでも自分の表現の場としてやってきたメディアじゃないか、と思いました。そうして突然スイッチが入り、昔のようにまた、毎日更新しているというわけです。
本業(ハラプロ)と紐づいていない純粋なWEBメディアをつくりたい気持ちはやっぱりあるので、それはこれからも考え続けていきます。先に道をつくった人に習おうと思い、「ほぼ日刊イトイ新聞の本」を読みました。約20年前の2001年に書かれた本ですが、今の自分に響くことがたくさん書かれてありました。逆にネット黎明期の話だからこそ、今響くのかもしれません。時代が変わっても、大切なことは変わらない、この本を読むとそれが分かります。
「夜間飛行」に感動したぼくは続いて「人間の土地」を読んでいます。じっくり、ゆっくり、味わいながら、北海道に向かって飛んでいる時も読みました。雲の上でサン=テグジュペリを読む、控えめに言ってシャレオツです。
(ふかわりょうが、あの映画みた?と聞かれて「機内で見た」とわざわざ言うやつが嫌いだ、という話を以前していたっけ)
飛行機乗りをしながら執筆し、飛行機に乗ったまま死ぬという生き様は詩的で、作品をあまり残していないところも良い。「星の王子さま」のイメージが強いから、あの作品が肌に合わない人(ぼくがそうです)が、夜間飛行をスルーしてしまっている(ぼくがそうでした)のが、もったいないな、と思います。
■城(カフカ)
■人間の土地(サン=テグジュペリ)
■ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー(ブレイディみかこ)
■アロハで猟師、はじめました(近藤康太郎)
■もの思う葦(太宰治)
■ほぼ日刊イトイ新聞の本(糸井重里)
■アイヌの世界に生きる(茅辺かのう)
いまは「アロハで猟師、はじめました」
を読んでいます。
狩猟のこと、命のこと。
ここ数か月まともに休みもとれず
仕事仕事の毎日を送っていますが
そんな中でも読書を怠らない
ストイックな自分にシビれます。
最近読んだ本たち。
・ブーヴィエの世界(ニコラ・ブーヴィエ)
・ディキンソン詩集(亀井俊介編)
・雨の日はソファで散歩(種村孝弘)
・千年の読書(三砂慶明)
・昔日の客(関口良雄)
・これは水です(D.F.ウォレス)
・四角形の歴史(赤瀬川原平)
・歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術(トマス・エスペダル)
・空が青いから白をえらんだのです(寮美千子編)
・本屋で待つ(佐藤友則)
・アメリカンスクール(小島信夫)
・夜間飛行(サン=テグジュペリ)
読んでいる最中に「これは!」と興奮して
一度パタンと本を閉じてから余韻に浸る。
そんな自分のための本に出会う確率は
鳥のウンチが頭に落ちるぐらい低いです。
ちなみに子供を幼稚園に送る道すがら
妻の頭上に鳥ウンが落ちてきたそうです。
運よく日傘をさしていたからよかったけど
ズドンとかなりの衝撃だったようです。
「夜間飛行」(サン=テグジュペリ)は
ぼくにとっての鳥ウンでした。
ズドンとかなりの衝撃を受けました。
草原の上を飛行する場面や
暴風雨の中をくぐりぬける場面は
宮崎駿アニメの飛行シーンが
頭の中にぱっと浮かびましたが
駿さんもこの小説からかなり
影響を受けているそうです。
詩的な文章はとにかく美しく
どのシーンもダラダラしていない。
淀川長治さんが北野映画を評して語った
「さっと出してさっとやる感覚、贅沢さ」
そんな感じです。
すなわち人間の幸福は、自由の中に存在するのではなく、義務の甘受の中に存在するのだ。