久しぶりに『コット、はじまりの夏』を観ましたら、また感動ですよ。あのラストシーンを観て何も感じない人間なんてこの世にいないと断言できます。でもぼくの知らない世界には、血も涙もない人間がいるみたいですね。そんなニュースばかりが目につきます。定期コットで心を浄化しよ。
久しぶりに『コット、はじまりの夏』を観ましたら、また感動ですよ。あのラストシーンを観て何も感じない人間なんてこの世にいないと断言できます。でもぼくの知らない世界には、血も涙もない人間がいるみたいですね。そんなニュースばかりが目につきます。定期コットで心を浄化しよ。
あと10年たったら60歳!
そのとき自分がどうなっているのか、まったく想像ができません。60歳になってもぼくはこの仕事をやっているのだろうか?わからんなあ。みんなが恐れているAI問題もあるし、衰えも来るだろうし、というか衰えはすでに来ているし(集中力が前ほど持たなくなってきた)、モチベーションを維持し続けられるかどうかもわからない。
あるフリーランスのグラフィックデザイナーが、50歳を過ぎてこの仕事をやり続けるのはしんどい、と言っていました。パソコンの前に座り続けてデータと格闘するのがツライ、体を動かす仕事がしたい、そう言っていました。わかる気がします。体を動かして、労働らしい労働がしたくなる気持ち。一日中座ってモニターとにらめっこする行為が、非人間的に思えてくる感覚。
時間の使い方は自分で決められる立場にあるから、半分はいまの仕事、もう半分は別のこと、そんなやり方もできなくはないんですけどね。(もう半分はいったい何をやればいいんだろう?)
AI問題に関しては、この流れが止まることはないし、ある程度ぼくらの仕事はAIに取って代わられるでしょう。「我々プロがつくるクオリティは云々~」と声高に叫んだところで、「AIでいいやん」と思う人たちの気持ちは変えられないから。AIの粗を探してAI叩きするよりも、ただ愚直に自分を信じてやり続けるしかないです。
封印していたニンテンドー64とゼルダの伝説「時のオカリナ」を引っぱり出してきて、子供と一緒に遊びました。ファミ通のクロスレビューではじめて全員が満点をつけた神ゲーです。いま見ると画質が荒いなーと思ったけど、遊んでいるうちに、いや、いま見てもやっぱり美しいぞ、と思いました。内容をほぼ忘れていたので、子供といっしょに謎解きに悩み、ティロリロリロリロンの音が鳴るたびに、「おー」と歓声をあげました。最初のボスとの戦闘で、ライフゲージが残りひとつの状態に陥ると「おとうさんやって」とコントローラーを放棄、ぼくが必死に逃げまわりながらライフを回復させると、「よしあとは任せて」とコントローラーを強奪。3度のゲームオーバーを経て、ようやく倒したときのハイタッチは、今年のベストシーン10位に必ずや入るでしょう。
4月30日 タモリさん
某ユーチューバーのタモリさんに対する発言に腹を立てる。
5月4日~5日 クジラの町
ゴールデンウィークは呼子へ。捕鯨で栄えた町なので、いろんなところにクジラに関するものがあった。クジラの箸置きと大和煮の缶詰を購入。帰りは大渋滞につかまり、このまま永遠に家に帰れないような気がした。
5月8日 至福の時
いまどき珍しくネット通販をやっていない硬派なレコード屋で、『ソロ・モンク(CL2349)』『チャールズ・ミンガス・プレゼンツ・チャールズ・ミンガス(SMJ-7030)』『エリック・ドルフィー・イン・ヨーロッパ Vol.1(SMJ-7212)』を購入。お店に足を運んで、本やレコードを買うのが至福の時。
5月15日 散歩と古本
歩いて古本屋へ。片道30分のほどよい散歩コース。『私は霊界を見て来た』(エマニュエル・スウェデンボルグ)という怪しい本を購入。面白そう。昔、丹波哲郎さんの「大霊界」が流行ったことを思い出す。ぼくはなぜか大霊界のボードゲームを持っていた。散歩から帰ってくると、ワールドカップメンバーの発表が終わっていた。三笘選手が落選していて落ち込む。
5月18日 リテーナー
サボっていた就寝時のリテーナー(矯正後に歯がもとに戻らないよう固定するマウスピースのようなもの)を、ひさしぶりに付けたら痛かった。しばらくは日中も付けておこう。
前回紹介した『問いつめられたおじさんの答え』で、「人はどうして死んじゃうの?」という質問に対して、いがらしみきおさんが「とうとう来たね、これ以上の質問はないからね」と、独自の死生観を語りはじめます。そこで、全身麻酔をしたときの体験を挙げて、あのときのブラックアウトした状態が、死んだ状態にいちばん近いんじゃないか、と言っていて、ぼくは「ハッ!」となりました。
というのも、ぼくも全身麻酔を一度経験していて、正確にいうと、その時はそれが全身麻酔だと分からなかったのですが、「胃カメラを無痛で飲めますよ」というお医者さんの説明を適当に聞き、何の疑いもなくベッドに横たわり、マウスピースのようなものを咥えていると、いつのまにか意識を失い、目を覚ますと身に覚えのない部屋で寝ていて、ひどく驚いたんですよね。
あれはヘンな感覚で、いがらしさんが言うとおり、死んだ状態に近いのかもしれない。あの病院、なんていう病院だったっけ?と思い出しながらホームぺージを見ると、ぼくが経験したのは全身麻酔ではなく、鎮静剤というもっとライトなやつでした。なーんだ。じゃあほんとうの全身麻酔は、あれよりもっと「無」になってしまうわけですね。怖いですね。

Charles Mingus Presents Charles Mingus
(SMJ-7030)
今どきめずらしくネット通販をやっていない硬派なレコード屋に向かいながら、ぼくが頭の中に思い浮かべていたのは、小倉駅の古本市で買った本『エリック・ドルフィー(昌文社)』の中で著者が書いていた、「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」でのドルフィーの演奏がいいよ、という言葉でした。
あったらいいな、でもそんな都合よくあるわけないか、と思いながら、体を横向きにして狭い店内を進み、新入荷コーナーの段ボール箱に入れられた50枚弱のレコードをめくっていくと、ありました、まさか!と思いました。ペラジャケ。1500円。
『遠い太鼓』(村上春樹)
ローマ、ギリシャ、ロンドン、いろんな国の、いろんな街で暮らした村上さんの文章を読みながら、ぼくも行こうと思えば、好きなところへ行くことができるんだよな、と思いました。だれにも鎖なんてないのだ。クレタ島の小さな村の食堂で、夕焼けを眺めている村上さんのところへ村の子供たちがやってきて、ちょっとカンフーやって見せて、カンフーできるんでしょ、と言う、村上さんは、もちろんできるよと嘘をついて、アチョーーとやってみせる、子供たちはやっぱりねという顔で満足して帰っていく、というエピソードが好きです。断崖絶壁のぐねぐね道を走るバスの運転手と車掌が、チーズ片手にワインを飲みはじめて酔っ払ってしまい、乗客にもワインが振る舞われ、走るバスの中で酒盛りがはじまってしまう、というエピソードも面白いです。さすが、経験レベルが違いますね。
クワラツヘリアの凄さはナポリ時代の映像で十分すぎるほどわかったのに、どうしてレアルは獲りにいかなかったのか。パリSGに負けたバイエルンの監督が、言い訳を一切せず、パリの強さ(と自チーム)を讃えていて、いいなと思いました。日本の場合、負けると反省ばかり口にしますよね。素直に「相手が強かった」でいいと思います。

『鶏まみれ』(繁延あづさ)
『ニワトリと卵と、息子の思春期』の続編。リストラされた旦那さんが養鶏をやると言い出して、それに巻き込まれるカタチで、作者の繁延さんは食肉を扱う資格をとるために、食肉処理場で3年間アルバイトをします。
そこには、全身血まみれになりながら、生きている鶏を肉にする人たちがいた。次から次に流れてくる鶏たちを、ひたすらナイフで絶命させていく「首切り」という仕事。繁延さんは血で真っ赤に染まった自分の姿に驚き、打ちのめされ、なんて凄い仕事なんだ、なんてとうとい仕事なんだ、と感じます。
どうして「とうとい」と感じたのか。それは本を読めばわかります。生きるために殺すという大変な行為を、だれかにやってもらっていることは知っていたけど、本当には知らなかった。
旦那さんがはじめた養鶏場のことも並行して綴られます。3人の子供たちは、鶏舎の設営を手伝ったり、鶏の世話をしたり、卵のパック詰めをしたり、ヒヨコの群れといっしょにミミズを探したりします。めちゃくちゃ羨ましい。ニワトリがいる生活、憧れます。雄のニワトリのカッコよさ!
4月13日 アメリカ
お宅訪問取材。アメリカ在住で、セカンドハウスとして団地をリノベーションした方へのインタビュー。とても面白い話が聞けた。アメリカでは築80年なんて普通のことで、みんな当たり前のように、自分で壁を塗ったり、DIYをしているらしい。
4月15日 ミディアムレア
お昼に牛もも肉のステーキ(特価300円)を焼いて食べる。
4月16日 ダンス・ダンス・ダンス
ひさしぶりに『ダンス・ダンス・ダンス』のページをめくる。五反田君が海にマセラティごと飛び込んで死んでしまったあと、五反田君のことをユキと話すシーンでウルっときてしまう。やっぱり名作だな、と思う。村上作品をはじめて読むなら『ダンス・ダンス・ダンス』がおすすめです。
4月18日 焼き鳥
近所の焼き鳥屋で、おいしい焼き鳥をたべる。3月生まれのぼくと、4月生まれの妻の、ささやかな合同バースデー食事会。炙りレバー、ハツ、もも焼き、せせり、肩焼き、全部おいしかった。
4月19日 ベランダ読書
ベランダに椅子を出して、のんびり読書。しばらくすると子供もやってきて、一緒に本を読む。ベランダ菜園のレタスの成長が著しい。
4月24日 宝くじ
南蔵院に行くついでに買った宝くじは、かすりもせずハズレ。子供が「宝くじが当たる確率は、カミナリに打たれる確率より低いらしいよ」と言う。本当だろうか?
子供とふたりで「小倉駅ナカ本の市」へ。端から見ていくと、いきなり楳図かずおの『漂流教室』全巻セットがあって、子供とふたりでむむむ!となり、一度手にとるも、いやいや、いったん落ち着こう、まだ来たばっかりだし、他に買いたいモノが何も無かったら、その時は買って帰ろう、と棚に戻しました。
そのわずか1分後、「おとうさん、漂流が無くなってる!」という子供の声。(ヤラレタ!)先ほど我々が漂流教室を見つけてむむむ!となっている時、斜めうしろからじっとこちらを見ている人影には気付いていたのです。ああ・・・
しかし、『エリック・ドルフィー(昌文社)』の発見を皮切りに、『バルト 美術論集(みすず書房)』『遠い太鼓(村上春樹・単行本の初版)』『チベット密教(ちくま学芸文庫)』『我が詩的自伝(吉増剛造)』などなど、子供の本もふくめ良本を次から次に発掘。すぐに痛みは消え去ります。
結果的に満足して帰ったけど、あのとき、漂流セットを他人に抜かれた棚を見たとき、なんともいえない気持ちになったなあ。それと同時に、自分の中にある強欲さも見えてしまった。そんな出来事。
『On the Corner』が凄すぎて、聴いている途中で笑ってしまう。なんなんだ、この混沌としたパワーは。1972年当時、レコーディングに参加したミュージシャンたちは、演奏している時も、レコードが完成した時も、さっぱりワケがわからなかったそうです。マイルスとテオだけがわかっていた!ジャズでもなければ、ファンクでもなく、ロックでもない。一番しっくりくるのは「人力テクノ」だけど、テクノよりも狂暴で、グルーヴがあって、いかがわしさもあって、しかしうるさくはないという、本当に聴いたことがない音楽。それを50年前につくっていたマイルス・デイビス!黄色いジャケットも大好きです。家宝です。

詩ってわからないですよね。「詩的なもの」はわかるけど。トマトは苦手、でもトマト風味は好き、みたいな。詩の良さをわかりたい、という気持ちはずっとあって、それで詩集を読んでみたり、詩を論じた本を読んでみるのですが、一向にわかりません。
ちくま学芸文庫から復刊された『詩の構造についての覚え書』(入沢康夫)を読んで、詩がわからないのは当たり前だったんだ!と、一気に腑に落ちました。入沢さんは言います。「詩を読むという行為は、詩をつくる行為と質的には等価、あるいはそれ以上の行為だ」と。
詩が一般的に読まれない現状を揶揄して、よく「詩の読者は、詩人しかいない」と言うそうですが、詩人じゃないぼくらが、詩を読むことに苦労するのは当然で、詩をつくるのと同じくらいの時間、労力、態度をもって向き合うことが、「詩を読む」ということなんですね。はー(白目をむきながら)
詩人という言葉から、ぼくはいつも「ディック・ノース」のことを思い浮かべてしまいます。ディック・ノースというのは、村上春樹さんの小説『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる、片腕の詩人です。
ディック・ノースは善良な男で、1本しかない腕を器用に使ってサンドウィッチをつくり、家事全般をそつなくこなす好人物ですが、どこか胡散臭い凡人として描かれます。ユキという13歳の少女からは、軽蔑すらされています。何も悪いことをしていないのに!そのせいでぼくは、「詩人=胡散臭い人」という、間違ったイメージを持ってしまいました。今はそんなこと、思っていません。
(余談ですが、ディック・ノースは交通事故で死んでしまいます。ユキは、生前の彼に冷たく接したことを後悔するような言葉を口にします。それを聞いた主人公が、「そういうことを簡単に口に出してはいけない」と、厳しく諭す場面は、村上作品屈指の名シーンです)