急に寒くなったので
はんてんを羽織りました。
やっぱりあったかいぜ、はんてん。
今年の冬もお世話になりそうです。
そして、たかなっとうに
刻み沢庵を混ぜるという
新しい技を開発したので
一応、報告しておきます。
急に寒くなったので
はんてんを羽織りました。
やっぱりあったかいぜ、はんてん。
今年の冬もお世話になりそうです。
そして、たかなっとうに
刻み沢庵を混ぜるという
新しい技を開発したので
一応、報告しておきます。
アニメーション映画の「音楽」を観た。
70分という長さで忙しい現代人でも
サクッと気軽に観られます。
古美術の森田がロン毛を振り乱して
ギターをかき鳴らす場面と
古武術の演奏に衝撃をうけた
森田の心象風景を見せる場面で
やられたー!となりました。
アニメーションにはまだ
こういう可能性があったんだなと
(ジブリやピクサーしか観ていないぼくが
ただ知らなかっただけかもしれないけど)
そういう風に思いました。
森田が最高です。
しばらく画面を見ていて
何かに似ているなあという
既視感がずっとあって
途中で「あ、北野武監督の映画だ」
と気づきました。
これをつくった人が
7年間ほぼひとりでコツコツ手描きで
4万枚の絵を描き上げたという事実に
グッときます。7年って長いよ。
階段で見つけたクモは家の中へは入らず、玄関そばの壁に巣を張りました。
足元近く、しかも人が普通に出入りしたら、巣を足でひっかけてしまうような場所です。なので我々は玄関ドアを少ーしだけ開けて、体をするりと外へ出し、クモの巣に接触しないよう迂回しながら外出します。なんという気配り。完全にやりすぎなクモへの配慮。
ベランダのドアガラス、管理室のドア、そして今回の場所、どんだけ人間が出入りする場所が好きなんだ、君は。そんなところじゃ虫も捕れんだろう。しかし、そういう不器用さも含めて、愛着が湧いています。
打ち合わせから帰ってくると、巣が跡形もなく消えていました。アイツもいません。また引っ越しかな?と一瞬思ったけど、痕跡が一切残っていない。たぶんマンションを掃除してくれる業者の方が、片づけてしまったのだと思います。しまった!
ちょうどその日の朝、そうならないように貼り紙をしておこうと、「このクモの巣はそのままにしておいてください」という貼り紙をしておこうかと、妻と話していたのでした。逃がしてもらえてたらいいけど。4度目の再会はあるだろうか。
早起き生活をすると
世間一般のごはんタイムと
お腹が空くタイミングとの間に
ずれが生じます。
これは早起き生活人間の
宿命なのです。
午前中の打ち合わせ中に
ぼくのお腹が「ぐー」と鳴ったら
それは早起き生活の証なのです。
吉増剛造さんの本「詩とは何か」は
吉増さんが詩とはこういうことですよと
やさしく教えてくれるわけではなく
ぼくたちの日常にふっと現れる
言葉にはできない詩的な何かを
懸命に探っていく本です。
だから詩に限らず
いろんな分野に話は及ぶし
あのジミヘンまでもが
詩的な対象として語られていて
とても面白い。
ネットレビューを覗いてみると
「結局、詩とは何かが書かれていない」
という低評価レビューを見つけて
ズコーっとなりました。
吉増さんはこの本の中で
芸術とは作品よりもむしろ
そこへ辿りつくまでの道程にこそある
というようなことを言っていて
ぼくは「はっ!」となったわけですが
音楽家のジム・オルークも
全く同じようなことを言っていて
作品なんて捨てていいとまで言っています。
言うだけで捨てていないと思いますけど。
先日読んだ松本大洋さんの
東京ヒゴロという漫画にも
作品を完成させて評価されることより
作るためにもがいた道程の中にこそ
喜びがあると書かれてありました。
世間では日本シリーズが
盛り上がっているらしい
ということでテレビをつけると
副音声で「球場の音だけ」
という選択ができた。
実況者も解説者もいない
本当に球場の音だけになって
まるで自分が球場にいるかの
ようなリアルさでした。
サッカーでも
ぜひやってほしい!
先日このブログで、クモのことを書きました。ベランダのドアガラスに大きな巣を張ったクモのことです。姿を消したあと、どこに引っ越したんだろうと気になっていました。
マンションの1階にある管理室に用事があり、ドアを開けて中へ入ろうとすると、クモの巣が頭にぐちゃーっと絡みついて、ぎゃーと慌てて手でむしり取ると、そこにアイツがいました。クモなんてたくさんいるし、個体の見分けなんてつくわけないんだけど、直感で分かったんです。
お前はこんなところに引っ越していたのか。ぼくは巣を破壊したことを謝罪して、用事を済ませて帰りました。しばらくの間、クモの糸が髪に絡みついているような不快感が消えず、あれに引っかかった虫の気持ちが少しわかりました。
翌日、アイツはまた姿を消しました。ぼくが破壊した巣の残骸が、管理室の前で揺れていました。
そしてまさに今朝、資源ごみを捨てに行くと、階段を歩いて移動しているアイツを発見!ウソじゃありません。本当です。3Fから4F(うち)へと歩いていたから、もしかしてうちに帰ってくるつもりなのか?と思い、玄関ドアをすこーしだけ開けておきました。
今月の3冊です。
■タコの心身問題(ピーター・ゴドフリー・スミス )
■国境を超えるためのブックガイド50(小川忠)
■万延元年のフットボール(大江健三郎)
■夕べの雲(庄野潤三)
■うんこ文学(頭木弘樹・編)
■悲しき熱帯(レヴィ・ストロース)
あれ、MARUZENを彷徨っているうち、気が付くと、6冊もカゴの中に入っていた!
「タコの心身問題」によると、タコには心(意識)があるらしい。昔、夜釣りをしていると、ルアーにタコが引っかかってきたことがあります。暗闇で見るそれは、まるで地球外生命体のようでした。不思議な生き物ですよね。
庄野潤三作品は「プールサイド小景」「ザボンの花」に続き3冊目です。ぼくの好きな、何も起きない日常文学。寝る前にちょこっと読んで、ほっこりしてから寝ます。
「うんこ文学」は、漏らしてしまった悲しみを綴った文学作品のオムニバスです。先日うっかりこれを持って定食屋へと入ってしまい、しまった!と思って慌てて隠しました。読む場所を選ぶ危険な本です。でも面白いです。
ぼくがブックガイドとして信頼している「本は読めないものだから心配するな」の中で、著者の菅啓次郎さんは、本に「冊」という単位はないと言っています。本は物質的に完結しているフリをするけど騙されるな、すべての本はつながっている、というわけです。
あっちを読んだり、こっちを読んだり、本から本へ、その日の気分で、流れるように読んでいく。そのためには、未読の本を積み上げておく必要があるのだ。(本を買う人の言い訳として)