夏休みの自由研究で
子供がオクラの
研究をしています。

現代アート作家の大竹伸朗さんが書いた本「既にそこにあるもの」は、ものづくりをする人にとって、大いに刺激をもらえる本です。作品も魅力的だけど、ぼくは大竹さんの思想に強く惹かれます。「コンセプト」という言葉を嫌い、もっと根源的な「つくりたい気持ち」に従って正直につくる。たくさんつくる。拾った紙の上に、拾ったモノを貼り付ける。手を動かす喜びが、大竹さんのパワーの源だ。
写真家の石川直樹さんと大竹伸朗さんが、あるテレビ番組で対談をした。石川さんも写真集をたくさんつくるタイプの人で、膨大な作品数を誇る大竹さんのことを尊敬しているそうだ。そのことを石川さんが口にすると、大竹さんはちょっと照れながら「本当はもっと数少なく、作風を絞ってやったほうがカッコイイんだろうけどね。でも毎日作っていないと不安になるんだよ。だから結局、作品の数が増え続けてしまうんだ」と言った。カッコイイなと思った。
子供がヒラメを釣った時
アジング用の細くて短い竿を
使っていました。
それに3000番のリール
シーバス用のルアーという
ちぐはぐな組み合わせで
道具にこだわる釣り人から
怒られそうなセットでした。
それでも釣れる時は
釣れてしまうのが
釣りの面白さですね。
YouTubeで人気の「釣りドラ」さんは
道具にこだわらない野生派アングラーで
ボロボロのロッドに錆びたリールで
常人の10倍の釣果を叩きだします。
釣れた魚は素手で鷲づかみ。
服に海水やウロコが飛び散っても
まったく気にするそぶりを見せない。
あのアリゲーターガーを
たった一人で釣り上げるのも凄いけど
それを調理して食べるのもすごい。

なんの情報も無しにこの写真集「KUMANO」を見て、これは名作だ!と言える人はどれぐらいいるんだろう。1年前、東京の「bookobscura」で買いました。ビニールが被せてあったので、店主に「中を少し見せてもらえますか?」と尋ねると、ビニールをはずしてカウンターの上にそっと置いてくれました。そして店主の目の前で、緊張しながらページをめくったことを覚えています。
終盤、紙面全体が真っ赤な炎に包まれていくところはとても迫力がある。火の熱さを感じるほどです。その反面、前半から中盤までずっと続く、なんの変哲もない風景写真が、ぼくにはよくわかりませんでした。いったい何を撮っているのか?今でもよくわかっていません。でも不思議なことに、あのなんの変哲もない写真のほうが、迫力ある炎の写真よりも、イメージとして強く頭の中に残っています。なんでやろう?そしてよくわからないからこそ、何度もページを開いてしまいます。
マイルス・デイビスはキャリアの途中で、自分で作曲することを辞めて、曲によっては演奏すらしないこともあった。それでも出来上がった音楽は、マイルスの音楽だった。ぼくはずっとデザインもコーディングも、全部自分でやってきて、そこにこだわりもあったけど、どこかのタイミングでマイルス的手法を取り入れるべきなのか?それともディック・ブルーナのように、生涯自分の手だけでつくり続けるべきなのか?うーむ。きっとどうするべきかよりも、どうしたいのかで決めたほうがいいよね。
国宝があまりにも話題になっているので、ららぽーとの朝8時上映を狙って観に行ってきました。感想は、うーん、、、。なんと言えばいいのか、評価が難しい映画でした。というのも、映画としての出来はハッキリ言って30点ぐらい、3時間は長すぎるし、ストーリーはご都合主義、いろいろ詰め込み過ぎて、なんだかなあという感じです。特に後半でいきなり出てきた女性が、いきなり主人公と仲良くなっていて、頭の中は???でした。隣の人がずっとポップコーンをガサガサしていて気が滅入りました。ただ、歌舞伎のシーンはすごかったです。圧倒されました。歌舞伎のシーンだけで感動しました。世間がこの映画のどこを絶賛しているのかはわかりませんが、歌舞伎のシーンがすごい!ということだったら納得です。
子供が学童で将棋をやっていると聞いて、ぼくも将棋がやりたくなった。それでおもちゃ屋へ行き、1,780円の将棋セットを買った。駒はペナペナのプラスチック製だったけど、盤は木製だったから良しとしよう。ひさしぶりすぎて、1手指すのに時間がかかり「お父さんはやくー」と急かされた。お互いが相手の駒を乱獲して、盤の上がスカスカになった。王将が剥き出しになっていた。
生きているホームぺージがいいな。
何をもって「生きている」と感じられるのか?
それは派手に動くとかではなく
その人や会社の息遣いが
感じられるホームぺージ。
デザインされすぎていないというのは
結構大事なポイントのような気がする。
もちろん情報の更新も。
いま3巻の途中です。失速中。どうして失速しているのかというと、ナポレオンとの戦争が詳細に描かれていて、ちょっと退屈だから。モームは「読書案内」の中で、退屈なシーンは飛ばしていいよ、飛ばして読んでもその作品の偉大さが損なわれることはないから、と言っているけど、性分的にそれが出来ない。だから失速しています。マリア嬢に幸福の兆しが見えたのは良かった。
6年前、ある駆け出しのWEBデザイナーの方から、ホームぺージ経由でメールを頂いた。そのメールには、WEBデザインが上手くいかずに落ち込んでいること、そんな時にハラプロのホームぺージを見て励まされたというお礼が書いてあった。
売りこみメールはたくさん来るけど、そんなメールは初めてだったので、強く印象に残った。そしてぼくも駆け出しの頃、先輩やクライアントからボロカスにダメ出しをされて、心が折れそうになったので、その方の気持ちがよくわかったし、なんとか乗り越えて欲しいと思っていた。
先日、たまたまツイッターで、その方が今もWEBデザイナーを続けていることを知った。「あきらめずに続けていますよ!」と書いていて、とてもうれしい気持ちになった。

万博会場へ入場するとき、風にはためく無数の国旗を見て、理由はわからないけど、目頭が熱くなりました。
ぼくは「大屋根リング」という言葉すら知らなかった「万博への興味ゼロ男」でしたが、実際に行ってみると、万博サイコウ!来てよかった!と思いました。
何がいいのか?正直パビリオンに、期待を超えるようなものは無かったです。6つほど入ったけど、でかいスクリーン映像とか、自然や歴史の展示とか、なるほどねという感じで、そこに万博でしか得られない体験は無かったです(フランス館は面白かったけど)
ただ、会場全体のスケール感(とにかく広くてデカい!)や、みんなが楽しんでいる雰囲気が良くて、歩き回るだけでたのしい。建築を見るだけでたのしい。大屋根リングがすごい。めちゃくちゃすごい。
写真じゃ伝わらんなあ。
普段、都市高を下から見上げた時、こんなバカでかいモノをよく作ったなと感心しますが、あれと同じスケールの巨大建築物を、木だけでつくるなんて、しかもわずか半年間のためだけにつくってしまうなんて、本当にすごい。圧倒されます。大屋根リングを見て、その上を歩くだけで、万博に行く価値があるとぼくは思います。
これを10月には壊してしまうのか、モッタイナイ、と思ったけど、いや、その儚さに価値があるのかもしれん、今しか見られないから、余計に感動して、みんなの記憶の中に残り続けるのかもしれない。
たった半年間のために!と、世間から叩かれたけど、「そんな批判の中、黙々とこれをつくっていた人たちがいたんやね」と、妻がぼそっと言った時、大屋根リングに対して、つくった人たちに対して、畏敬の念を感じずにはいられませんでした。
デザインのことで言うと、やっぱりミャクミャクが素晴らしくて、あのロゴマークを生み出した人の功績はとてつもなく大きい。グッズは飛ぶように売れていて、デザイナーはそれに見合った対価を得られているのだろうか?と、余計な心配をしてしまいました。
7月25日(金)~7月27日(日)に大阪万博へ行ってきます。その間に頂いたお問い合わせやご依頼については、28日以降の対応となりますことをご了承ください。
ちなみ妻と子供は2回目です。ぼくはあまり興味が無かったし、仕事もあったから、前回は行きませんでした。しかし、万博から帰ってきた2人が「楽しかった!また行きたい!」と言い、話を聞くうちにぼくも興味が湧いてきました。万博とはいったい何なのか?この目で確かめてきたいと思います。
marumanの大きめのクロッキー帳(SM-01)を机にいつも置いていて、アイデア、記事の構成、デザインの骨格などを、鉛筆でガリガリと書くのが、ぼくの仕事のやり方です。ずっと前はコピー用紙に書いては捨てていたけど、それだと自分の仕事の形跡が何も残らないから、今はクロッキー帳で残しています。一生懸命つくったホームページも、いつかはリニューアルによって無くなってしまうから。そう考えると、自分の死後も「残り続けるモノ」をつくっている人たちが、ちょっと羨ましいです。
桃が美味い。
くだものナンバーワンは桃です。
昔は冷蔵庫に入れていたせいで
桃の本当の実力を
味わえていなかったけど
常温保存で適切なタイミングで食べたら
桃がナンバーワンになりました。
サニーで買った2個380円の桃も抜群でした。
ふるさと納税の桃もたのしみです。