何かをつくるとき、つくりあげた作品よりも、もがき苦しんだ「過程」こそが尊いのだ、というようなことを、いろんな人が言っている。ぼくも、そのとおりだと思う。AIをつかって、その「過程」をすっ飛ばしてしまったら、つくる意味なんて、なくなってしまうんじゃないかな。
何かをつくるとき、つくりあげた作品よりも、もがき苦しんだ「過程」こそが尊いのだ、というようなことを、いろんな人が言っている。ぼくも、そのとおりだと思う。AIをつかって、その「過程」をすっ飛ばしてしまったら、つくる意味なんて、なくなってしまうんじゃないかな。
ちょっと無理かもな、と思ったことを書きます。
— 岡野 優太 | ENVY DESIGN Inc. (@web_e_design) August 14, 2026
私は、デザインの修正で感情が揺れることはほとんどありません。なぜなら、人それぞれ思いや感じ方は違うからです。だから「この人はこう感じたんだな」と受け入れて、納得いただけるまで修正するようにしています。…
「AIが作る修正指示に対応するのは、ちょっと無理」という、デザイナーさんの上記ツイートが話題になっていました。
ぼくは幸い、AIが作成したと思われる修正指示をうけたことは、まだありません。クライアントの意思を、AIを使って具体化し、それを伝える、ということだったら特に問題はないとおもいます。だけど、クライアントの意思とは関係なく、AIに「修正すべき点を10個あげて」と言って作らせたような修正指示には、正直対応したくないです。
もし、そんなやり方が当たり前になったら、AIに認められるために、AIでつくるという、変な世界になってしまう。というか、もうなりはじめているんでしょうね。人のために作ってきたはずなのにね。
週に1回、気分を変えるために外で仕事をしています。さすがにMacbook1台でデザインやコーディングは厳しいので、外では主に原稿書きや企画仕事をやっています。
一度、某制作会社がシェアオフィスとして使っている場所に行ったときは、間違ってよその会社に紛れ込んでしまったような状態になりました。周りから「バナーのデザインがどうのこうの」とか「納期がきつい」などの会話が聞こえてきて、そういえば会社で働くのってこんな感じだったなと、昔を思い出しました。やたらウロチョロしてる人がいたけど、あの人も何か仕事をしていたんだろうか?
いろいろな場所に行ってみてわかったのは、快適さと価格は比例するということ(当たり前の話だけど)。ワンビルのシェアラウンジは快適。
あと10年たったら60歳!
そのとき自分がどうなっているのか、まったく想像ができません。60歳になってもぼくはこの仕事をやっているのだろうか?わからんなあ。みんなが恐れているAI問題もあるし、衰えも来るだろうし、というか衰えはすでに来ているし(集中力が前ほど持たなくなってきた)、モチベーションを維持し続けられるかどうかもわからない。
あるフリーランスのグラフィックデザイナーが、50歳を過ぎてこの仕事をやり続けるのはしんどい、と言っていました。パソコンの前に座り続けてデータと格闘するのがツライ、体を動かす仕事がしたい、そう言っていました。わかる気がします。体を動かして、労働らしい労働がしたくなる気持ち。一日中座ってモニターとにらめっこする行為が、非人間的に思えてくる感覚。
時間の使い方は自分で決められる立場にあるから、半分はいまの仕事、もう半分は別のこと、そんなやり方もできなくはないんですけどね。(もう半分はいったい何をやればいいんだろう?)
AI問題に関しては、この流れが止まることはないし、ある程度ぼくらの仕事はAIに取って代わられるでしょう。「我々プロがつくるクオリティは云々~」と声高に叫んだところで、「AIでいいやん」と思う人たちの気持ちは変えられないから。AIの粗を探してAI叩きするよりも、ただ愚直に自分を信じてやり続けるしかないです。
寝室のクーラーが壊れたので、新しいクーラーをエディオンで買った。委託業者の方が取付工事に来てくれた。たくさんの機材を積んだ大きな車に乗って、たった1人でやって来て、他人の家にあがり、クーラーの撤去から取付までを手際良くこなす。プロの仕事だ。確認のサインを求めたあと、エディオンがやっているキャンペーンの案内まできちんと全うしていった。プロの仕事だ。
顔や服に絵の具が飛び散っているけど
構うことなく制作に没頭するような
そんな人になりたい。
おしゃれなカフェで
カタカタカタっと
小粋に仕事なんて
できるもんか。
もっとこう
ガッと力をこめて
かじりつくように
仕事をするのだ。
取材で福山市へ行った際
自由時間があったので
あてもなくぷらぷら歩いていると
児島書店という昔ながらの
古本屋を見つけた。
旅の思い出に一冊
「詩への架橋」という本を選んだ。
レジへ持っていくと
うず高く積まれた本と本のすき間から
店主の顔が半分だけ見えた。
福岡から来たことを告げて
福山の名物を尋ねると
「ねぶとの唐揚げ」を教えてくれた。
帰りにあなご飯と
ねぶとの唐揚げを買って
新幹線の中で食べた。
中村勇吾さんのインタビュー記事を読んだ。
ぼくがまだ駆け出しのWEBデザイナーだったころ、中村勇吾さんがつくる革新的でかっこいいインタラクティブWEBサイトに憧れた。それと同時に、こんな凄いものは自分にはとても作れないと、心を何度も折られた。
つくることが大好きな中村さんも、年齢を重ねて大御所となり、つくる人から、つくらせる人へ、少しずつシフトしていった。でもやっぱりつくることが好きで、指示や割り振りは自分のやりたいことではないと再認識し、今はまた「つくる人」に戻っている。
記事を読んだあと、自分が15年前にどうしてWEB制作会社を辞めようと思ったのかを思い出した。それは、役割がウェブデザイナーからディレクターへと変わり、自分の手を動かしてつくることが無くなってしまったからだった。
年齢と経験を重ねてディレクターになることは業界的に当たり前のことで、ぼくもその変化を受け入れていたつもりだったけど、やっぱり「つくる人」に戻りたくなった。
そんな時、鎌倉のWEB制作会社カヤックのWEBサイトを見た。「つくる人を増やす」という企業理念に心を動かされた。会社を辞めたあとひとり鎌倉へ行き、カヤックの面接を受けた。結果は不採用だった。残念だったけど、なぜかホッとした。
少しだけ鎌倉市内を観光して、長谷観音を見た。お金がなかったから夜行バスで帰った。バスの中でぼくは、一人でやってみようかな、と考えていた。
マイルス・デイビスはキャリアの途中で、自分で作曲することを辞めて、曲によっては演奏すらしないこともあった。それでも出来上がった音楽は、マイルスの音楽だった。ぼくはずっとデザインもコーディングも、全部自分でやってきて、そこにこだわりもあったけど、どこかのタイミングでマイルス的手法を取り入れるべきなのか?それともディック・ブルーナのように、生涯自分の手だけでつくり続けるべきなのか?うーむ。きっとどうするべきかよりも、どうしたいのかで決めたほうがいいよね。
marumanの大きめのクロッキー帳(SM-01)を机にいつも置いていて、アイデア、記事の構成、デザインの骨格などを、鉛筆でガリガリと書くのが、ぼくの仕事のやり方です。ずっと前はコピー用紙に書いては捨てていたけど、それだと自分の仕事の形跡が何も残らないから、今はクロッキー帳で残しています。一生懸命つくったホームページも、いつかはリニューアルによって無くなってしまうから。そう考えると、自分の死後も「残り続けるモノ」をつくっている人たちが、ちょっと羨ましいです。
いままでずっと確定申告は、プリントアウトした用紙を税務署に持っていき、その場で提出して税金を支払っていました。だけど今回はじめて、e-Taxで提出し、支払いもネットバンク経由でおこないました。わざわざ税務署に行く手間が省けてよかったんだけど、なんか手応えがないというか、あの税務署を出たあとに感じていた「あー、終わったー」という清々しさが無くなり、払う必要のないお金を払ってしまったような、どうにもすっきりしない気持ちです。なんなんだこれは。そういえば昨年、税務署を出たあとでKBCシネマへ行き、「コット、はじまりの夏」を観たのでした。
森山大道さんのワークショップに参加した人が、森山さんに写真を見せると、決まって「撮った数が少なすぎる」と言われるらしい。シャッターを押す前にあーだこーだと考えすぎて、最終的に撮った枚数が森山さんのそれと比較すると、圧倒的に少ないそうだ。素人よりも、巨匠のほうが、貪欲に数を稼いでいるというのは、とても興味深い話だ。
例えばルアーフィッシングでも、釣れる人は釣れない人よりも、たくさんルアーを投げている。いいキャッチコピーを書くための秘訣は、頭であれこれ考えるより、関連する言葉をたくさん書くことからはじまるし、デザインも1発で決まればラクだけど、実際はこれでもかこれでもかと、作り続けた先にゴールがある。
つくっていて、なんか違うなあと、ちょっとでも感じる時は、やっぱりそれは違うということが、そのあと苦労して正解を導き出した時にはっきりわかるんですね。結構深い沼にハマって、これたどり着けるのか?と不安になるけど、それでももがき続ければ、ちゃんとたどり着けるなー。そんな時はうれしい。

はぴりのさんの10周年記念に、オリジナル手ぬぐいを(勝手に)つくりました。記念品は何がいいかなあと考えた時、以前キレイカ・コピーさんから頂いたオリジナル手ぬぐいを思い出して、そうだ手ぬぐいにしよう!と思ったのです。ちなみにキレイカ・コピーさんの手ぬぐい、我が家ではキッチンにぶら下げてお手拭きにしたり、食事中のナプキン代わりにしたりと、絶賛愛用中です。
インフルエンザに罹ってしまい
丸2日間寝込んでいました。
みなさんご自愛ください。
今年は両親の老いと向き合い
心労の重なる1年でした。
あれもこれも今年のことかと思うと
なんて濃い1年だったんだ。
おかげでヒゲも随分白くなりました。
子供は小学1年生になり
文字通りピカピカ輝いて見えます。
それがあまりにも対照的で。
今のぼくはちょうど
人生のはじめとおわりに挟まれて
その全てが見渡せる場所にいるようです。
おかげさまでハラプロは
皆さまに支えられながら
順調に航海を続けています。
AIが台頭してきて
WEB制作の現場にも当然
影響が出てくると思いますが
ぼくは一貫して
「人間にしかつくれないものがある」
と信じているので心配はしていません。
便利なものが登場して
世の中の流れがそちらに傾けば傾くほど
従来の面倒くさいやり方の価値が
相対的に高まっていくものです。
だからぼくたちつくる人は
AIなんかに惑わされず
人間としての感性を磨き
いろんな経験を積むことに
引き続き注力していきましょう。
今年も一年ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
それでは皆さま、良いお年を!
WEBサイトのコンテンツをつくるために、取材をして記事を書くという仕事が最近多いです。取材をするのも、記事を書くのも、どちらも楽しいけど(大変のほうが勝るけど)、なんといってもキツイのがテープ起こしです。ボイスレコーダーを再生しながらテキストに起こす作業、これがキツイのです。
一度体験した時間をまた再体験しないといけないのもキツイし、自分の声を聞くのもキツイ。1時間取材をしたら、テープ起こしは倍の2時間かかります。いや、キツくて休み休みやるから3時間ぐらいかかるかも。キツイ。取材&ライティングで一番大切なのはおそらく「話を聞く時間」で、そのための「準備」も重要です。いい話が聞けたらもう勝利は確定していて、記事を書く時間はぼくにとってご褒美みたいなものです。その間に存在するテープ起こし、これはもうただただキツイ!キツイしかない。
もしかしたら、録音データから自動でテキストを起こしてくれる便利なテクノロジーがあるのかもしれない。どうなんだろう。あれば使ってみたい。でもあのキツイ時間に脳の中で取材体験が再構築されていて、それも大事な要素だったりするかもしれんしなあ。いま、そのキツイテープ起こしを乗り越えて、ご褒美タイムに突入しています。苦労の結晶である素材をどう活かして記事にするか、とても楽しい作業です。