朝、学校への行き道
何の話をするか
ジャンケンで決める。
みんな話したいことが違うのだ。
昨日は鬼滅の刃について話した。
今日は「みんなが話せる話にしよう」
と誰かが言ったから
ジャンケンはなかった。
朝、学校への行き道
何の話をするか
ジャンケンで決める。
みんな話したいことが違うのだ。
昨日は鬼滅の刃について話した。
今日は「みんなが話せる話にしよう」
と誰かが言ったから
ジャンケンはなかった。
中村勇吾さんのインタビュー記事を読んだ。
ぼくがまだ駆け出しのWEBデザイナーだったころ、中村勇吾さんがつくる革新的でかっこいいインタラクティブWEBサイトに憧れた。それと同時に、こんな凄いものは自分にはとても作れないと、心を何度も折られた。
つくることが大好きな中村さんも、年齢を重ねて大御所となり、つくる人から、つくらせる人へ、少しずつシフトしていった。でもやっぱりつくることが好きで、指示や割り振りは自分のやりたいことではないと再認識し、今はまた「つくる人」に戻っている。
記事を読んだあと、自分が15年前にどうしてWEB制作会社を辞めようと思ったのかを思い出した。それは、役割がウェブデザイナーからディレクターへと変わり、自分の手を動かしてつくることが無くなってしまったからだった。
年齢と経験を重ねてディレクターになることは業界的に当たり前のことで、ぼくもその変化を受け入れていたつもりだったけど、やっぱり「つくる人」に戻りたくなった。
そんな時、鎌倉のWEB制作会社カヤックのWEBサイトを見た。「つくる人を増やす」という企業理念に心を動かされた。会社を辞めたあとひとり鎌倉へ行き、カヤックの面接を受けた。結果は不採用だった。残念だったけど、なぜかホッとした。
少しだけ鎌倉市内を観光して、長谷観音を見た。お金がなかったから夜行バスで帰った。バスの中でぼくは、一人でやってみようかな、と考えていた。

『神々の沈黙』は、3000年前まで人間は「意識」を持たず、「神の声」を聞いて行動していたという仮説が書かれた本です。やがて人間に神の声は届かなくなり、ぼくたちのような現代版の人間になっていったそうです(あくまでも仮説です)。
なぜ「神の声」が聴こえなくなったのか?それは人間が「ことば」を発明したからで、ことばによって人に意識が芽生え、神の声ではなく、自らの意識で行動するようになったそうです。
やさしい哲学書『はじめて考えるときのように』には、「ことばがなければ考えられない」と書いてあります。人は何かを考える時、ことばを使って考える。ことばを発していなくても、頭の中でことばを使って考える。ということは、ことばが誕生してはじめて人に意識が宿ったというのは本当のことかもしれません。
じゃあ「神の声」って何なんだ?
工学博士の田坂広志さんは著書『死は存在しない』の中で、ゼロ・ポイント・フィールド理論を唱えています。この世には、宇宙の過去・現在・未来のすべての出来事が記録されているエネルギーの場「ゼロ・ポイント・フィールド」があって、自分たちもそのエネルギーの一部にすぎないと言っています。
意識的にゼロ・ポイント・フィールドと繋がることはできないけど、無意識がつながることがあって、その時に予感とか、デジャヴとか、不思議な偶然とか、なぜかそのことを知っていた、みたいな現象が起こる。宗教でいう神や天とは、ゼロ・ポイント・フィールドのことだ、と言っています。
もしそれが本当なら、まだ意識を持たなかった(ことばを持たなかった)大昔の人は、神の声を聞いていたんでしょうね。詩人・田村隆一さんの詩に「ことばなんて覚えるんじゃなかった」という有名な一行があるけど、田村さんは感覚的にそのことを知っていたのかな。

現代アート作家の大竹伸朗さんが書いた本「既にそこにあるもの」は、ものづくりをする人にとって、大いに刺激をもらえる本です。作品も魅力的だけど、ぼくは大竹さんの思想に強く惹かれます。「コンセプト」という言葉を嫌い、もっと根源的な「つくりたい気持ち」に従って正直につくる。たくさんつくる。拾った紙の上に、拾ったモノを貼り付ける。手を動かす喜びが、大竹さんのパワーの源だ。
写真家の石川直樹さんと大竹伸朗さんが、あるテレビ番組で対談をした。石川さんも写真集をたくさんつくるタイプの人で、膨大な作品数を誇る大竹さんのことを尊敬しているそうだ。そのことを石川さんが口にすると、大竹さんはちょっと照れながら「本当はもっと数少なく、作風を絞ってやったほうがカッコイイんだろうけどね。でも毎日作っていないと不安になるんだよ。だから結局、作品の数が増え続けてしまうんだ」と言った。カッコイイなと思った。
子供がヒラメを釣った時
アジング用の細くて短い竿に
3000番のリールという
ちぐはぐな組み合わせで
道具にこだわる人から
怒られそうなセットだった。
それでも釣れる時は
釣れてしまうのが
釣りの面白さだ。
YouTubeで人気の「釣りドラ」さんは
道具にこだわらない野生派アングラーで
ボロボロのロッドに錆びたリールで
常人の10倍の釣果を叩きだす。
釣れた魚は素手で鷲づかみ。
服に海水やウロコが飛び散っても
まったく気にするそぶりを見せない。
あのアリゲーターガーを
たった一人で釣り上げるのも凄いけど
それを調理して食べるのもすごい。

なんの情報も無しにこの写真集「KUMANO」を見て、これは名作だ!と言える人はどれぐらいいるんだろう。1年前、東京の「bookobscura」で買いました。ビニールが被せてあったので、店主に「中を少し見せてもらえますか?」と尋ねると、ビニールをはずしてカウンターの上にそっと置いてくれました。そして店主の目の前で、緊張しながらページをめくったことを覚えています。
終盤、紙面全体が真っ赤な炎に包まれていくところはとても迫力がある。火の熱さを感じるほどです。その反面、前半から中盤までずっと続く、なんの変哲もない風景写真が、ぼくにはよくわかりませんでした。いったい何を撮っているのか?今でもよくわかっていません。でも不思議なことに、あのなんの変哲もない写真のほうが、迫力ある炎の写真よりも、イメージとして強く頭の中に残っています。なんでやろう?そしてよくわからないからこそ、何度もページを開いてしまいます。
マイルス・デイビスはキャリアの途中で、自分で作曲することを辞めて、曲によっては演奏すらしないこともあった。それでも出来上がった音楽は、マイルスの音楽だった。ぼくはずっとデザインもコーディングも、全部自分でやってきて、そこにこだわりもあったけど、どこかのタイミングでマイルス的手法を取り入れるべきなのか?それともディック・ブルーナのように、生涯自分の手だけでつくり続けるべきなのか?うーむ。きっとどうするべきかよりも、どうしたいのかで決めたほうがいいよね。
国宝があまりにも話題になっているので、ららぽーとの朝8時上映を狙って観に行ってきました。感想は、うーん、、、。なんと言えばいいのか、評価が難しい映画でした。というのも、映画としての出来はハッキリ言って30点ぐらい、3時間は長すぎるし、ストーリーはご都合主義、いろいろ詰め込み過ぎて、なんだかなあという感じです。特に後半でいきなり出てきた女性が、いきなり主人公と仲良くなっていて、頭の中は???でした。隣の人がずっとポップコーンをガサガサしていて気が滅入りました。ただ、歌舞伎のシーンはすごかったです。圧倒されました。歌舞伎のシーンだけで感動しました。世間がこの映画のどこを絶賛しているのかはわかりませんが、歌舞伎のシーンがすごい!ということだったら納得です。
子供が学童で将棋をやっていると聞いて、ぼくも将棋がやりたくなった。それでおもちゃ屋へ行き、1,780円の将棋セットを買った。駒はペナペナのプラスチック製だったけど、盤は木製だったから良しとしよう。ひさしぶりすぎて、1手指すのに時間がかかり「お父さんはやくー」と急かされた。お互いが相手の駒を乱獲して、盤の上がスカスカになった。王将が剥き出しになっていた。
生きているホームぺージがいいな。
何をもって「生きている」と感じられるのか?
それは派手に動くとかではなく
その人や会社の息遣いが
感じられるホームぺージ。
デザインされすぎていないというのは
結構大事なポイントのような気がする。
もちろん情報の更新も。
いま3巻の途中です。失速中。どうして失速しているのかというと、ナポレオンとの戦争が詳細に描かれていて、ちょっと退屈だから。モームは「読書案内」の中で、退屈なシーンは飛ばしていいよ、飛ばして読んでもその作品の偉大さが損なわれることはないから、と言っているけど、性分的にそれが出来ない。だから失速しています。マリア嬢に幸福の兆しが見えたのは良かった。
6年前、ある駆け出しのWEBデザイナーの方から、ホームぺージ経由でメールを頂いた。そのメールには、WEBデザインが上手くいかずに落ち込んでいること、そんな時にハラプロのホームぺージを見て励まされたというお礼が書いてあった。
売りこみメールはたくさん来るけど、そんなメールは初めてだったので、強く印象に残った。ぼくも駆け出しの頃、先輩やクライアントからボロカスにダメ出しをされて心が折れそうになったので、その方の気持ちがよくわかったし、なんとか乗り越えて欲しいと思っていた。
先日、たまたまツイッターで、その方が今もWEBデザイナーを続けていることを知った。「あきらめずに続けていますよ!」と書いてあって、とてもうれしい気持ちになった。

万博会場へ入場するとき、風にはためく無数の国旗を見て、理由はわからないけど、目頭が熱くなりました。
ぼくは「大屋根リング」という言葉すら知らなかった「万博への興味ゼロ男」でしたが、実際に行ってみると、万博サイコウ!来てよかった!と思いました。
何がいいのか?正直パビリオンに、期待を超えるようなものは無かったです。6つほど入ったけど、でかいスクリーン映像とか、自然や歴史の展示とか、なるほどねという感じで、そこに万博でしか得られない体験は無かったです(フランス館は面白かったけど)
ただ、会場全体のスケール感(とにかく広くてデカい!)や、みんなが楽しんでいる雰囲気が良くて、歩き回るだけでたのしい。建築を見るだけでたのしい。大屋根リングがすごい。めちゃくちゃすごい。
写真じゃ伝わらんなあ。
普段、都市高を下から見上げた時、こんなバカでかいモノをよく作ったなと感心しますが、あれと同じスケールの巨大建築物を、木だけでつくるなんて、しかもわずか半年間のためだけにつくってしまうなんて、本当にすごい。圧倒されます。大屋根リングを見て、その上を歩くだけで、万博に行く価値があるとぼくは思います。
これを10月には壊してしまうのか、モッタイナイ、と思ったけど、いや、その儚さに価値があるのかもしれん、今しか見られないから、余計に感動して、みんなの記憶の中に残り続けるのかもしれない。
たった半年間のために!と、世間から叩かれたけど、「そんな批判の中、黙々とこれをつくっていた人たちがいたんやね」と、妻がぼそっと言った時、大屋根リングに対して、つくった人たちに対して、畏敬の念を感じずにはいられませんでした。
デザインのことで言うと、やっぱりミャクミャクが素晴らしくて、あのロゴマークを生み出した人の功績はとてつもなく大きい。グッズは飛ぶように売れていて、デザイナーはそれに見合った対価を得られているのだろうか?と、余計な心配をしてしまいました。
7月25日(金)~7月27日(日)に大阪万博へ行ってきます。その間に頂いたお問い合わせやご依頼については、28日以降の対応となりますことをご了承ください。
ちなみ妻と子供は2回目です。ぼくはあまり興味が無かったし、仕事もあったから、前回は行きませんでした。しかし、万博から帰ってきた2人が「楽しかった!また行きたい!」と言い、話を聞くうちにぼくも興味が湧いてきました。万博とはいったい何なのか?この目で確かめてきたいと思います。