大阪のお土産で買ってきてくれた
551のシューマイをみんなで食べた。
幼稚園では上にグリーンピースが
乗っていると子供が言う。
ぼく「あれいらんよね」
子供「いらんよねえ」
シューマイの上の
グリーンピースを
必要としている人は
いるんだろうか?
そしてぼくら世代は
シューマイと聞くと
闘将!拉麺男を思い出す。
耳の穴にヒルを入れて洗脳し
戦闘員を作り出す漫画。
大阪のお土産で買ってきてくれた
551のシューマイをみんなで食べた。
幼稚園では上にグリーンピースが
乗っていると子供が言う。
ぼく「あれいらんよね」
子供「いらんよねえ」
シューマイの上の
グリーンピースを
必要としている人は
いるんだろうか?
そしてぼくら世代は
シューマイと聞くと
闘将!拉麺男を思い出す。
耳の穴にヒルを入れて洗脳し
戦闘員を作り出す漫画。
月に一度、東区の多々良方面へ行く用事があって、その時はいつも「枝」というお店でご飯を食べる。気取っていない、オーソドックスな街の洋食屋さん。お昼だけじゃなく、一日中ランチが食べられる。とても良心的。お昼時はお店の前にある駐車場が満杯になって入れなくなる。ぼくはいつも夕方、お客さんが一人もいない時間帯に行って、日替わりランチを食べる。
古着屋の古着の匂いが好きなんだ。
若い時は苦手だったんだけどなあ。
人って変わりますね。
あれがいったい
何の匂いなのか知らないけど
ぼくは勝手にそこからアメリカの
アメリカ人の生活の匂いを
嗅ぎ取っている。
着用と洗濯を繰り返すうちに
だんだんあの匂いが薄れていき
自分の服になっていくのは
通常喜ばしい変化のはずなのに
なぜか寂しい気持ちがあるのだ。
一度レングスの長いジーンズの丈を
ちょうどいい具合に詰めたら
そいつからアメリカが消えてしまった!
家族で朝ごはんを食べたあと
妻が淹れてくれたコーヒーを持って
仕事部屋へ行こうとすると
「ここで飲んでね」と子供が言う。
まだ朝ご飯を食べ終えていない
自分のとなりに座らせて
もっと話がしたいと言う。
そんな風に素直に
要求できる子供って
素敵な存在だなあと思う。
大人になるとそんな風に
自分がして欲しいことを
スッと口に出して
言えなくなるんだよ。
なんでやろうね?
来月の3冊です。
ちょっとフライングしました。
■悲しき熱帯2(レヴィ・ストロース)
■ガザに地下鉄が走る日(岡真理)
■いい匂いのする方へ(曽我部恵一)
「悲しき熱帯」はまだ1のほうを
半分も読めていない。
なぜか?難しいから!
必死に文字を追うけど全然入ってこない。
しかしこのまましがみついていれば
どこかへ連れて行ってくれるという
予感だけはビリビリと感じています。
「ガザに地下鉄が走る日」は
パレスチナ問題のことを
知りたいと思い手に取りました。
まさに今読んでいるけど
まだ上手く言葉にできません。
ぼくは本当に何も知らなかった。
この本については、また改めて。
「いい匂いのする方へ」は
サニーデイサービスの曽我部さんが
書き下ろしたエッセイ本。良い!
あえて推敲しないデモテープ状態のまま
出版したという曽我部さんの文章は
とても正直だ。大丈夫?と
心配になるぐらい正直だ。
だからとても信用できる。
信用できる文章というのはあります。
たとえば芸人さんが書いた本は面白いけど
彼らはつい文章で笑わせようとするし
読み手へのサービス精神が時に過剰になって
どこか嘘っぽい空気が漂う。
たったひとつでも
嘘っぽさがあると
全部がダメになる。
それは我々の仕事にも
言えることなんですけどね。
曽我部さんのこの素敵な本は
MARUZENの「芸術」の棚に挿さっていて
いわゆる歌手やタレントの本と
一緒に並べられていた。
分類として正しいんだけど正しくないような。
もしエッセイというコーナーがあるなら
そっちのほうが良いんじゃないかな。
じゃないとファンしか手に取らないですよね。
ぼくは検索機のおかげで見つけられました。
このブログはいったい
何のために書いているんだろう。
自分としてはただ
書くのが楽しくて
自分のために書いている
という感覚だけど
それだったら別に
紙のノートに書けば済む話で
わざわざ人の目に触れるカタチで
書く必要ないもんね。
ということはやっぱり
誰かに読んでもらいたいのか。そうか。
読んでもらいたくて書いてると思うと
急にその行為が恥ずかしくなるなあ。
以前はこのブログを通して
自分という人間を知って欲しい
そしてそれが仕事に繋がったら
うれしいなと思っていたけど
今はあまりそういう気持ちも無いのです。
だったら何のために?
うーん。
何のためとかじゃなくて
子供がブロックで遊ぶことに
何の目的も無いのと同じで
ただ書きたくて書いている
としか言えまへんな。
だったら紙のノートに書けば・・・
(以下、無限ループ)
ひさしぶりの試合は
とても良い試合をして
チームは準優勝でした。
子供が得点を決めて
それももちろんうれしかったけど
何よりみんなが一生懸命に走って
戦っていたことに感動しました。
ボールを追いかけていた子が
「〇〇ー!(名前)」
という親の声援に
「ん?」と振り返って
足を止めてしまうという
微笑ましい場面もありました。
90年代のバンドTシャツに
高値が付いているのを見て
くそうーと思っているのは
ぼくだけではなかった!
いろんな人が当時のバンドTを
捨てたことを後悔している。
ぼくの場合、捨てる以前に
なんで買わなかったんだ
という後悔だけど。
ジョンスペンサー
レディオヘッド
ペイヴメント
ナンバーガール
レニークラヴィッツ
ダイナソーJr
いろんなバンドのLIVEに
ひとり寂しく参戦していた当時
Tシャツを買うという発想はなかった。
当時のぼくに言いたい。
Tシャツを買えと。
そして自分が47歳になるまで
捨てずに持っておけと。
声を大にして言いたい。
ということを妻に話したら
「だってその時お金なかったっちゃろ?」
と核心を突かれて腑に落ちた。
そーだそーだ、そうだった。
当時はチケット代で精いっぱい
Tシャツを買う余裕なんて無かったんだ。
タイムマシーンがあればって思うけど
実は今しか出来ないことも
目の前にたくさんあって
それをぼくは馬鹿みたいな顔をして
スルーして生きているんでしょうね。
そして20年後にまた「くそう」
と後悔しているのだ。
子供とニンテンドーDSの
マリオで遊んだ時のこと。
6面の結構難しいステージを
ギリギリでクリアしていく子供。
谷底に落ちないよう狭い足場から足場へ
ジャンプしていくところでは
見ているぼくのほうがヒヤヒヤして
「ゆっくりゆっくり!」と騒ぎます。
一度谷底に落ちたと思いきや
壁キックを使ってなんとか
這い上がろうとする子供に
諦めない気持ちを見る。
結局落ちたけど。
そしてようやくボスである
クッパJrの待つ城へ辿り着いた時
子供のゲーム時間はもう無くなっていた。
ゲームをする前にキッズYouTubeに
時間の半分を使ってしまっていたのだ。
「お父さんが続きをやって」と言う子供。
約束の時間をちゃんと守れて偉いぞ!
あとはお父さんに任せろ!
子から親へと引き継がれるバトン。
しかしマリオは残り2体。ごくり。
ステージ開始と同時に
すごい勢いで突撃してきた敵に
あっさりとやられてしまう。
頭を抱える子供。
「ラストチャンスやね」と言う声には
もうすでに涙の気配が混じっている。
すごい重圧を感じながら
慎重にステージを進んでいき
なんとかクッパJrの所までやってきた。
こいつを倒して子供と
歓喜のハイタッチを交わすんだ。
しかし倒し方がよく分からず
逃げ惑っているうちにあえなく死亡。
子供はうわーーん!と泣いた。
そんなことがあって
先日、妻と妻の妹と子供の3人で
USJに遊びに行き(ぼくは仕事でお留守番)
そこで子供がボーリングのようなゲームに
チャレンジする動画が送られてきた。
3本のピンを全部倒したら
大きなぬいぐるみが貰えるゲームだ。
ピンを見つめる子供の顔から
緊張が伝わってくる。
子供は勢いよく球を転がして
見事にすべてのピンを倒し
小さくて控えめな(だけど気持ちを感じる)
とてもいいガッツポーズをした。
係のお姉さんの祝福の声と
カランカランと鳴り響く鐘の音。
その動画を見たぼくも
心の中でガッツポーズをした。
家にひとりだった夜、映画でも観ようと思い、アマプラで「ケイコ目を澄ませて」を観ました。ところどころに映画的な雰囲気はあったけど、ぼくはイマイチ入り込めなかったなあ。ジムの会長は、役者の台詞をしゃべる役者にしか見えなかったし、主人公の心情があまり見えてこなかった。30分を残して観るのを止めたので、正しい評価は出来ないけど。
自分に合わなかった映画のことをいちいち書く必要があるのか、ないのか、きっとないですね。でも淀川長治さんも、嫌いな映画は嫌いとはっきり言っていたから、イマイチだった時はイマイチだったと書こう。チェンソーマンのマキマさんが言う通り、良い映画(自分にとっての良い映画)に出会える確率は本当に低い。だからこそ、出会った時は感動するんだけど。
撮った写真を何年か後に見返すと、撮影した当時とはまったく違う見え方をすることがあって、たとえばこの写真なんて、何これ?っていう感じだけど、数年経った今、撮ったことさえ忘れていたぼくはこれを見て、その日の細部がありありと眼前に蘇ってきました。
写真ってなんで写るんだろう?写真の原理は知ってるけど、なんか科学的に説明されても納得いかない部分がある。不思議だなあ。時間を止める魔法やね。
先日、フィルムカメラを買った。中古のオートボーイ。5000円ぐらい。主に妻が日常を撮ってくれているけど、シャッターを押すことに慎重になりすぎて(フィルムあるある)まだ10枚ぐらいしか撮っていない。現像に出す頃には、きっと何にシャッターを切ったのかもう忘れていて、いわゆる時間の魔法が発動すると思います。
本当に急に寒くなって
天神のあらゆる建物の中は
もう暑いときたもんだ。
この過剰暖房問題について
ぼくはかなり前から
警鐘を鳴らしてきたけれど
影響力のない一般市民の声は
温度調節係の人には届かないのだ。
建物の中の人たちが
半袖で働いているのを
ぼくは見逃さなかったぞ。
届け、この想い。
最近、偏頭痛がやってこないのは
携帯酸素のおかげかもしれない。
ぼくはデスクワークに集中しすぎて
しばしば呼吸を止めてしまうクセがあり
それが頭痛の原因になるそうです。
携帯酸素が良いよと教えてもらったので
マツモトキヨシで買ってみました。
レジで支払いをする時
いつもタダで吸えている酸素に800円かあ
とケチな自分が一瞬顔を出す。
ぐぐーーーっと集中していて
あ、いま息が止まっていたなと思ったら
シューっと有料の酸素を吸っています。
この1ヵ月、偏頭痛はやって来ない。
写真は10月の公園。
試合の日が近づいている。
ひさしぶりの試合です。
最近は風邪で体調がすぐれず
お義母さんに買ってもらった
自転車の練習もまだ出来ていない子供。
今週末はできるかな?
そういえばドラえもんの3巻は
禁書ではありませんでした。
先日立ち寄った書店に
普通に並んでいた。
よかったよかった。
乾燥機を使ってコットン100%のズボンのエイジングを早めるために、朝のコインランドリーへ行き、高温40分コースでぐるんぐるん回している間、近くを散歩しながら陽の光でパワーをチャージした。「ねじまき鳥クロニクル」で、モンゴルの暗い井戸の中に放り込まれた間宮中尉が、1日の中でたった数秒間、太陽の光がさっと差し込む瞬間に感激する場面があって、太陽が気持ちいいなあという時にはよくそれを思い出します(ぼくはこの間宮中尉の話が好きなのです)。帰りにスーパーで買い物をしたせいで、ズボンを3本入れてパンパンだった手提げ鞄がさらに重たくなったので、写真集「マナスル」で見たシェルパ族の真似をして、持ち手を頭にひっかけて歩いてみた。すると随分ラクになった。
古い家を買って古いモノが好きになり
着るものも古着へと行き着くのは
ごくごく自然な流れだったのだ。
それに加えおじさんっぽい
スタイルに惹かれ続けています。
LEONとか絶対に読まない
昼間から競艇場にいるような
怪しいおじさんスタイル。
ドキュメント72時間で
競艇場そばの居酒屋が密着されていて
ぼくのイメージするおじさんが
そこに映し出されていた。
いいなーとぼくが唸っていると
「早寝早起き生活じゃこの味は出らんよ」
と妻に言われました。
確かにその通りだ。
もっとやさぐれた生活を送って
役に立たない自意識を飛ばさないと
あのコクと深みは出せないね。
酒もタバコもギャンブルもやらない
早寝早起き健康生活読書人間ですから
謙虚にスタイルだけなぞります。
急に寒くなったので
はんてんを羽織りました。
やっぱりあったかいぜ、はんてん。
今年の冬もお世話になりそうです。
そして、たかなっとうに
刻み沢庵を混ぜるという
新しい技を開発したので
一応、報告しておきます。
アニメーション映画の「音楽」を観た。
70分という長さで忙しい現代人でも
サクッと気軽に観られます。
古美術の森田がロン毛を振り乱して
ギターをかき鳴らす場面と
古武術の演奏に衝撃をうけた
森田の心象風景を見せる場面で
やられたー!となりました。
アニメーションにはまだ
こういう可能性があったんだなと
(ジブリやピクサーしか観ていないぼくが
ただ知らなかっただけかもしれないけど)
そういう風に思いました。
森田が最高です。
しばらく画面を見ていて
何かに似ているなあという
既視感がずっとあって
途中で「あ、北野武監督の映画だ」
と気づきました。
これをつくった人が
7年間ほぼひとりでコツコツ手描きで
4万枚の絵を描き上げたという事実に
グッときます。7年って長いよ。