よく晴れた日に
ベランダでスニーカーを
洗うと気持ちがいい。
撮った写真を何年か後に見返すと、撮影した当時とはまったく違う見え方をすることがあって、たとえばこの写真なんて、何これ?っていう感じだけど、数年経った今、撮ったことさえ忘れていたぼくはこれを見て、その日の細部がありありと眼前に蘇ってきました。
写真ってなんで写るんだろう?写真の原理は知ってるけど、なんか科学的に説明されても納得いかない部分がある。不思議だなあ。時間を止める魔法やね。
先日、フィルムカメラを買った。中古のオートボーイ。5000円ぐらい。主に妻が日常を撮ってくれているけど、シャッターを押すことに慎重になりすぎて(フィルムあるある)まだ10枚ぐらいしか撮っていない。現像に出す頃には、きっと何にシャッターを切ったのかもう忘れていて、いわゆる時間の魔法が発動すると思います。
本当に急に寒くなって
天神のあらゆる建物の中は
もう暑いときたもんだ。
この過剰暖房問題について
ぼくはかなり前から
警鐘を鳴らしてきたけれど
影響力のない一般市民の声は
温度調節係の人には届かないのだ。
建物の中の人たちが
半袖で働いているのを
ぼくは見逃さなかったぞ。
届け、この想い。
最近、偏頭痛がやってこないのは
携帯酸素のおかげかもしれない。
ぼくはデスクワークに集中しすぎて
しばしば呼吸を止めてしまうクセがあり
それが頭痛の原因になるそうです。
携帯酸素が良いよと教えてもらったので
マツモトキヨシで買ってみました。
レジで支払いをする時
いつもタダで吸えている酸素に800円かあ
とケチな自分が一瞬顔を出す。
ぐぐーーーっと集中していて
あ、いま息が止まっていたなと思ったら
シューっと有料の酸素を吸っています。
この1ヵ月、偏頭痛はやって来ない。
写真は10月の公園。
試合の日が近づいている。
ひさしぶりの試合です。
最近は風邪で体調がすぐれず
お義母さんに買ってもらった
自転車の練習もまだ出来ていない子供。
今週末はできるかな?
そういえばドラえもんの3巻は
禁書ではありませんでした。
先日立ち寄った書店に
普通に並んでいた。
よかったよかった。
乾燥機を使ってコットン100%のズボンのエイジングを早めるために、朝のコインランドリーへ行き、高温40分コースでぐるんぐるん回している間、近くを散歩しながら陽の光でパワーをチャージした。「ねじまき鳥クロニクル」で、モンゴルの暗い井戸の中に放り込まれた間宮中尉が、1日の中でたった数秒間、太陽の光がさっと差し込む瞬間に感激する場面があって、太陽が気持ちいいなあという時にはよくそれを思い出します(ぼくはこの間宮中尉の話が好きなのです)。帰りにスーパーで買い物をしたせいで、ズボンを3本入れてパンパンだった手提げ鞄がさらに重たくなったので、写真集「マナスル」で見たシェルパ族の真似をして、持ち手を頭にひっかけて歩いてみた。すると随分ラクになった。
古い家を買って古いモノが好きになり
着るものも古着へと行き着くのは
ごくごく自然な流れだったのだ。
それに加えおじさんっぽい
スタイルに惹かれ続けています。
LEONとか絶対に読まない
昼間から競艇場にいるような
怪しいおじさんスタイル。
ドキュメント72時間で
競艇場そばの居酒屋が密着されていて
ぼくのイメージするおじさんが
そこに映し出されていた。
いいなーとぼくが唸っていると
「早寝早起き生活じゃこの味は出らんよ」
と妻に言われました。
確かにその通りだ。
もっとやさぐれた生活を送って
役に立たない自意識を飛ばさないと
あのコクと深みは出せないね。
酒もタバコもギャンブルもやらない
早寝早起き健康生活読書人間ですから
謙虚にスタイルだけなぞります。
急に寒くなったので
はんてんを羽織りました。
やっぱりあったかいぜ、はんてん。
今年の冬もお世話になりそうです。
そして、たかなっとうに
刻み沢庵を混ぜるという
新しい技を開発したので
一応、報告しておきます。
アニメーション映画の「音楽」を観た。
70分という長さで忙しい現代人でも
サクッと気軽に観られます。
古美術の森田がロン毛を振り乱して
ギターをかき鳴らす場面と
古武術の演奏に衝撃をうけた
森田の心象風景を見せる場面で
やられたー!となりました。
アニメーションにはまだ
こういう可能性があったんだなと
(ジブリやピクサーしか観ていないぼくが
ただ知らなかっただけかもしれないけど)
そういう風に思いました。
森田が最高です。
しばらく画面を見ていて
何かに似ているなあという
既視感がずっとあって
途中で「あ、北野武監督の映画だ」
と気づきました。
これをつくった人が
7年間ほぼひとりでコツコツ手描きで
4万枚の絵を描き上げたという事実に
グッときます。7年って長いよ。
階段で見つけたクモは家の中へは入らず、玄関そばの壁に巣を張りました。
足元近く、しかも人が普通に出入りしたら、巣を足でひっかけてしまうような場所です。なので我々は玄関ドアを少ーしだけ開けて、体をするりと外へ出し、クモの巣に接触しないよう迂回しながら外出します。なんという気配り。完全にやりすぎなクモへの配慮。
ベランダのドアガラス、管理室のドア、そして今回の場所、どんだけ人間が出入りする場所が好きなんだ、君は。そんなところじゃ虫も捕れんだろう。しかし、そういう不器用さも含めて、愛着が湧いています。
打ち合わせから帰ってくると、巣が跡形もなく消えていました。アイツもいません。また引っ越しかな?と一瞬思ったけど、痕跡が一切残っていない。たぶんマンションを掃除してくれる業者の方が、片づけてしまったのだと思います。しまった!
ちょうどその日の朝、そうならないように貼り紙をしておこうと、「このクモの巣はそのままにしておいてください」という貼り紙をしておこうかと、妻と話していたのでした。逃がしてもらえてたらいいけど。4度目の再会はあるだろうか。
早起き生活をすると
世間一般のごはんタイムと
お腹が空くタイミングとの間に
ずれが生じます。
これは早起き生活人間の
宿命なのです。
午前中の打ち合わせ中に
ぼくのお腹が「ぐー」と鳴ったら
それは早起き生活の証なのです。
吉増剛造さんの本「詩とは何か」は
吉増さんが詩とはこういうことですよと
やさしく教えてくれるわけではなく
ぼくたちの日常にふっと現れる
言葉にはできない詩的な何かを
懸命に探っていく本です。
だから詩に限らず
いろんな分野に話は及ぶし
あのジミヘンまでもが
詩的な対象として語られていて
とても面白い。
ネットレビューを覗いてみると
「結局、詩とは何かが書かれていない」
という低評価レビューを見つけて
ズコーっとなりました。
吉増さんはこの本の中で
芸術とは作品よりもむしろ
そこへ辿りつくまでの道程にこそある
というようなことを言っていて
ぼくは「はっ!」となったわけですが
音楽家のジム・オルークも
全く同じようなことを言っていて
作品なんて捨てていいとまで言っています。
言うだけで捨てていないと思いますけど。
先日読んだ松本大洋さんの
東京ヒゴロという漫画にも
作品を完成させて評価されることより
作るためにもがいた道程の中にこそ
喜びがあると書かれてありました。
世間では日本シリーズが
盛り上がっているらしい
ということでテレビをつけると
副音声で「球場の音だけ」
という選択ができた。
実況者も解説者もいない
本当に球場の音だけになって
まるで自分が球場にいるかの
ようなリアルさでした。
サッカーでも
ぜひやってほしい!
先日このブログで、クモのことを書いた。ベランダのドアガラスに大きな巣を張ったクモのことを。姿を消したあと、どこに引っ越したんだろうと気になっていた。
マンションの1階にある管理室に用事があり、ドアを開けて中へ入ろうとすると、クモの巣が頭にぐちゃーっと絡みついて、ぎゃーと慌てて手でむしり取ると、そこにアイツがいた。クモなんてたくさんいるし、個体の見分けなんてつくわけないんだけど、直感で分かった。
お前はこんなところに引っ越していたのかー。ぼくは巣を破壊したことを謝罪して、用事を済ませて家に帰った。しばらくの間、クモの糸が頭に絡みついているような不快感が消えず、巣に引っかかってしまった虫の気持ちが分かった。
翌日、アイツはまた姿を消していた。ぼくが破壊した巣の残骸が、管理室の前で揺れていた。
そしてまさに今朝、資源ごみを捨てに行くと、階段を歩いて移動しているアイツを発見!ウソじゃないよ、本当です。3Fから4F(うち)へと歩いていたから、もしかしてうちに帰ってくるつもりなのか?と思い、玄関のドアをすこーしだけ開けておいた。
今月の3冊。
■タコの心身問題(ピーター・ゴドフリー・スミス )
■国境を超えるためのブックガイド50(小川忠)
■万延元年のフットボール(大江健三郎)
■夕べの雲(庄野潤三)
■うんこ文学(頭木弘樹・編)
■悲しき熱帯(レヴィ・ストロース)
あれ、MARUZENを彷徨っているうち、気が付くと、6冊もカゴの中に入っていた!
「タコの心身問題」によると、タコには心(意識)があるらしい。昔、夜釣りをしていると、ルアーにタコが引っかかってきたことがある。暗闇で見るそれは、まるで地球外生命体のようだった。不思議な生き物だ。
庄野潤三作品は「プールサイド小景」「ザボンの花」に続き3冊目。ぼくの好きな、何も起きない日常文学。寝る前にちょこっと読んで、ほっこりしてから寝るのだ。
「うんこ文学」は、うんこを漏らしてしまった悲しみを綴った文学作品のオムニバス。先日うっかりこれを持ったまま定食屋へと入ってしまい、しまった!と思って慌てて隠した。読む場所を選ぶ危険な本だ。でも面白い。
ぼくがブックガイドとして信頼している「本は読めないものだから心配するな」の中で、著者の菅啓次郎さんは、本に「冊」という単位はないと言っている。本は物質的に完結しているフリをするけど騙されるな、すべての本はつながっている、というわけ。
あっちを読んだり、こっちを読んだり、本から本へ、その日の気分で、流れるように読んでいく。そのためには、未読の本を積み上げておく必要があるのだ。(本を買う人の言い訳として)
東京ヒゴロ3巻が届きました。発売日に届きました。Amazonの物流システムに感謝!そして結論から言わせていただくと、東京ヒゴロ3巻は最高でした。一話目から心が震えました。一巻、二巻、ずっと良かったけど、この三巻で、これまで丁寧に紡いできた物語がスパークして(と言っても表現は地味でリアルですばらしい)たましいがブルブルします。こんな漫画が1705円で読めていいんですか?もはや漫画というより、上質な映画を観終えた気分です。とても映像的です。いや、ぼくは漫画を知らないから、塩澤さんに言わせれば、本物の漫画は映画に比肩しうる、または超えるものなのかもしれません。ね、塩澤さん!
ハーゲンダッツ華もち吟撰きなこ黒みつ1カップを、3等分して皆で食べるという、実にセコい食べ方で楽しんでいました。「うまい」「もはや和菓子やん」「1人1カップ余裕でいける」などと言いながら、3分の1を噛みしめながら味わっていました。
期間限定商品だから、いつ店頭から消えるか分かりません。消えると困るので、サニーでまとめ買いしました。そして冷凍庫に並べて、ほくそ笑みました。
妻が大変な1日を乗り越えたある日、自分へのご褒美として「今日は1カップいく!」と宣言しました。ぼくも子供も便乗しました。あれを1カップ丸ごといけるのかと、みんなテンションが上がり、アイスのカップで乾杯しました。
しかし食べはじめると、何故かいつもほど美味しくなく、あれ?こんな味だったっけ?と、テンションは急降下しました。きっとあれは、3分の1という少量を有難がって食べるからこその喜びだったのだ。緊張感のない在庫たっぷり状態で食べても、天国には行けないのだ。
それ以来、きなこ黒みつは食べていません。もしかしたらただ単純に、飽きただけなのかもしれないけど。
サーバーの移設がすべて完了しました。
4社のウェブサイトを同時期に移設するという、非常にタフな仕事でした。今回のサーバー移設は、4社共にお客さまが望んだものではなく、10年以上前に契約したサーバーが老朽化し、必要に迫られての移設でした。
サーバー云々って、お客さまからしてみれば目に見えないものだし、正直よくわからないと思うんです。新しいサーバーを契約したり、メールの設定を変更したり、お客さまにやってもらうことも結構あって、移設のための費用もかかるし、嬉しいものではないと思います。
それでも、快くご協力してくださった皆さまには、感謝の念に堪えません。とにかく本当、無事に終わって、ほっとしています。