初見で感動した映画でも、2回目に観るとあれ?こんなもんだった?ということがあるけど、「コット、はじまりの夏」に関してはノープロブレムでした。やっぱり素晴らしい映画だった!わかっていてもあのラストは泣いたし、改めて無駄のない、良い映画だと実感しました。
良いシーンばかりだけど、ショーンとコットが一枚のビスケットを機に打ち解けはじめて、一緒に子牛にミルクをあげたあと、2人で黙って昼食を食べるシーンが、とても好きです。
初見で感動した映画でも、2回目に観るとあれ?こんなもんだった?ということがあるけど、「コット、はじまりの夏」に関してはノープロブレムでした。やっぱり素晴らしい映画だった!わかっていてもあのラストは泣いたし、改めて無駄のない、良い映画だと実感しました。
良いシーンばかりだけど、ショーンとコットが一枚のビスケットを機に打ち解けはじめて、一緒に子牛にミルクをあげたあと、2人で黙って昼食を食べるシーンが、とても好きです。
7月が待ち遠しい。
コットはじまりの夏のDVDが届くから!
思い返すと、映像、音楽、脚本、静かさ、
好きな要素ばかりだったけど
欧米の映画で「沈黙の価値」が
語られることへの喜びもあった。
自己主張してナンボという
欧米の価値観が嫌いだから。
待ち遠しいといえば
子供は7歳の誕生日を心待ちにしている。
ニンテンドースイッチを買ってもらえるから。
しかしここに来てスイッチの
後継機発売がアナウンスされてしまった。
このタイミングで現行機を買うのか
それとも新機種を待つのか
子供には難しい選択だ。
さぞかし悩んでいるだろうと思いきや
本人はそのことについて
あまり考えてなくて
かいけつゾロリシリーズの本に
夢中になっている。
ぼくは本を読んでいる時の
子供の顔を見るのが好きだ。
気になっていた映画「TAR」を観た。
なんかすごい映画だった。
どういう映画?と聞かれると
説明が難しいんだけど。
はじまっていきなり
主人公の女性指揮者が椅子に座ったまま
延々と音楽への考え方を話すシーンが続く。
たぶん15分くらい続くのだけど
ずっと話を聞いていたい!
と思わせるリアリティと面白さがあった。
あれってかなり勇気がいる構成で
映画の冒頭15分って
観客の心をつかむための
大事な時間じゃないですか。
そこをただ座ったまま
話すだけのシーンに使うとは。
後半はホラーばりに怖くて
真夜中にメトロノームがコツコツ
なり続けるところは正視できず
半分目を閉じながら画面を見ていた。
ラストシーンの観客の姿
あれは何だったんだろう?
ネットを彷徨いながらコット情報を収集していると、なんと上映が終了したはずのKBCシネマで、3月11日から3月14日までの間、再上映されていることを発見してしまった。そんなことあるんだ!観たいなあ、もう一度スクリーンで。しかし、スケジュール的には今、かなり厳しい。うーむ。
昨日は、はぴりのさんの新しいモデルルーム撮影に立ち合い、帰りに丸善に立ち寄ると、いつのまにか4冊の本がぼくの手の中にありました。文庫3冊、デザイン本1冊。デザイン本は大原大次郎さんというデザイナーの方の作品集。今まで知らなかったけど、ぼくが好きな手仕事バリバリの制作スタイルで、大いに刺激を受けました。
良い映画を観た時の、あの画面が黒になって、エンドロールに切り替わった時の気持ちは、人生で感じることができる最良のもののひとつだと思う。だけどそれを感じられる映画は本当に少ない。開始10分でだめだこりゃって思うものはたくさんあるけど。そして映画館を出て、すれ違う人たちは全く別のことを考えていて、たった今ぼくが素晴らしい映画を観て、心に感動を抱えていることを知らないという、あの変な感覚は何だろう。「コット、はじまりの夏」は、本日3月7日で上映が終わってしまう。もう一度スクリーンで観たかった。DVDが出たら絶対に買おう。こんな映画らしい映画は本当に稀だから。言葉にできないものを描くのが映画だとしたら、これこそが映画だ!作品そのものが沈黙の美しさに包まれていて、劇中でも沈黙についての印象的な台詞がある。「沈黙は悪いことではない、たくさんの人が沈黙の機会を逃し、多くのものを失ってきた」金言です。映像はアート写真の連続のようで(北野武監督がどのシーンを切り取っても一枚の絵画になっているのが映画の理想だと言っていたっけ)、このシーンに台詞を入れて欲しくないなあと思いながら見ていると、本当に台詞がないまま次の場面へと移るから、鑑賞中は至福の時間だった。思い返せばあの90分間、ぼくは完全にアイルランドの田舎にいた。綺麗な世界だけではなく、人間の嫌な部分もしっかりと描いていて、ただのほのぼの映画なんかではない。だからこそあのラストシーンにぐっとくる。
税務署へ行って確定申告を終えたあと 、そのままKBCシネマに行って「コット、はじまりの夏」を観ました。何の前情報も無しに、その時間帯に上映している映画を観て帰ろうと決めていたのです。ネットで入念にリサーチしてもハズレる時はハズレるんだから、偶然に賭けてもいいだろうと思ったわけです。そして、その賭けに勝った!久しぶりにこんなに良い映画を観た。静かで抑えた演出、詩的な映像、素晴らしかった。
例えば、コットが叔母さんと2人で井戸水を汲みに行くシーン。凡庸な映画であれば、ここでコットに「美味しい」と言わせたり、目を見開かせたりするけど、この監督はそんなことしない。静かにひとくち水を飲むだけ。例えば、コットが遠く離れたポストへ走っていくシーン。ここはコットと叔父さんの関係が変わりはじめる重要なシーンだから、凡庸な映画であれば、戻ってきたコットと叔父さんが笑いあうところまで入れてしまうけど、この監督はそんなことしない。ただただ走るコットの表情を、見事にとらえるだけ。
つまりそういうことです。良い映画なのです。いやあ、本当に良い映画だった。素晴らしかった。ラストシーンを思い出すだけでじーんとくる。しばらくこの余韻に浸って生きていこう。
高校生の時、となりのクラスのY君の家に、一度だけ遊びに行ったことがある。Y君とは特に仲がよかったわけではなく、どうしてそうなったのか思い出せないけど、とにかくぼくともう一人で(これが誰だったかも思い出せない)、放課後Y君の家へ行った。とても立派な家で、部屋にはギターとベースが何本か置いてあった。CDもたくさんあった。
Y君はいつもニコニコしている穏やかでハンサムな男だった。ビートルズが好きで、ギターがとても上手だった。ぼくも当時ギターを練習中だったので、Y君からビートルズの曲の弾き方を教えてもらった。Y君は教え方も上手だった。
ぼくがある程度弾けるようになったところで、Y君はベースを持ってきて、一緒に演ってみようと言った。そして「せーの」で音を出した時の快感を、ぼくは今でも鮮明に覚えている。ギター1本で弾いている時は何も感じなかったのに、Y君のベースラインと合わさった時、心が震えた。ビートルズすげえ!と思った。
するとY君のお父さんがやってきて「もう夜になるから止めなさい」と言った。ぼくはもっとやりたかったし、まだ夕方の5時ぐらいだったから、Y君が父親を説得してくれることを期待した。しかし、Y君は素直に従った。育ちがいいのだ。
このたった一度切りの合奏を、ぼくは今でも思い出す。本当にワクワクした。そしてあの時、もうひとりの友達は何をしていたんだろう?
竹村延和さんの名盤
「こどもと魔法」を
小さな音で鳴らしながら
仕事に励んでいる
今日この頃です。
これを買った20代の頃は
この音楽の良さがほとんど
理解できていなかった。
でも今は、大好きです。
何回聴いても飽きない。
これほどピュアで
あざとさのない電子音楽は
なかなか無いのです。
かかってきた電話には
絶対出ないという
竹村さんのポリシーを
インタビューで目にして
さらに好きになりました。
映画「さかなのこ」は
笑えてじーんとくる良い映画でした。
良いらしいという評判は
聞いていたけど予告編で
のんさんが「ぎょぎょぎょー」
と言っているのを見て
なんだかなあと思っていました。
すみませんぼくが間違っていました。
のんさんが演じるさかなクン
最高でぎょざいます。
わかりやすさと説明を省いて
こっちに想像させる部分とが
ちょうどよくミックスされていて
変に盛り上げないのも良い。
ちょっとBGMに頼りすぎな
ところは気になったけど。
ぼくが好きなシーンは
アパートに転がり込んできた
シングルマザーの女性が
洗濯物を干すとなりで
子供がひとりクレヨンで
絵を描いているところ。
なんでもないシーンなんですけどね。
あとナイフ君もよかった。