小さなデザイン事務所のまじめなホームページ制作

肉を叩く音がした

ついに子供がマイクラをはじめた。すばらしいグラフィック!初日は勝手がわからず、どんどん歩いているうちに夜が来て、ゾンビに襲われた。ゾンビの攻撃を受けるとき、肉を叩く鈍い音がして怖かった。そしてサボテンが刺さって死んだ。2日目には洞穴に拠点をつくっていた。家は建てんと?と聞くと、建築はまだ早いと言う。洞穴の周りに、ゾンビ除けのたいまつを大量に設置していた。マイクラを開発した人は億万長者になっていて、お金を持ったことで孤独になり、ハッピーではなくなってしまったという記事を読んだ。それが本当かどうかはわからないけど。

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ホックニーの頭の中を見る

デイヴィッド・ホックニー 僕の視点 芸術そして人生

『デイヴィッド・ホックニー 僕の視点 芸術そして人生』

1993年発行の古い本で、生き方や芸術論、作品について、ホックニーが自分の言葉で語っています。そういう気持ちで絵を描いていたのか!と、読んでいてうれしくなります。

興味を引かれたのは「写真の限界」と名付けられた、写真についての考察。ホックニーはこう言っています。「人によって世界の見え方は違うから、絵画は突き詰めると抽象画しか存在しないのではないか。そして写真も洗練された抽象なのではないか」と。写真が抽象?そしてピカソが追求したキュビズム(複数の視点を1枚の絵にしたアレ)は、時間も空間も超えて、写真ではとらえることのできない真実に迫り、写真を超えられるのではないか、と。言わんとすることは分かるけど、でもよくわからない。でも面白い。

ピカソのことはたくさん語っていて、ホックニーがいかにピカソに対して特別な想いを抱いていたのかがわかります。一流の画家にとっても、ピカソは怪物なのだ。中国の桂林を旅して、その美しさに魅了されるホックニー。英語が話せない現地の少年画家と、絵を通じて心を通わせるエピソードがとても良い。

1988年、知人のポートレイト作品を描きはじめる。「どの絵も短時間で仕上げた。自分の知っている人間をモデルにした。だが、自分がモデルになった絵を気に入ってくれた人はほとんどいなかった。実物以上に立派に描くことをしなかったせいだろうか」(David Hockney)

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理想の朝ごはん

休日の朝、子供と近所を散歩した。起きてすぐ、朝ごはんも食べずに家を出たので、散歩の途中でお腹が空いてきた。2人でいま食べたい理想の朝ごはんについて話し合った。その結果、理想の朝ごはんはこうなった。炊きたてのごはん、赤味噌のみそ汁、香ばしく焼いためざし、ふわっとした卵焼き。のりの佃煮もあれば言うことないね。出発した時は風が気持ちよかったけど、帰り着く頃にはもう暑くなっていた。マンションの階段でカマキリが死んでいた。土に埋めてあげようと子供が言った。

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健全なギモン

人から聞いたこと、本で読んだこと、ネットで見たこと、新しく入ってくる情報に対して、一度は疑ってみること。本当にそうだろうか?と。ただやみくもに否定するわけではなく、健全なギモンを自分に向けること。それは案外、生きていくうえで大事なことじゃないかと思います。ギモンを持つということは、自分の頭で考えるということだから。

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かじりつく(4回目)

顔や服に絵の具が飛び散っているけど
構うことなく制作に没頭するような
そんな人になりたい。

おしゃれなカフェで
カタカタカタっと
小粋に仕事なんて
できるもんか。

もっとこう
ガッと力をこめて
かじりつくように
仕事をするのだ。

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最近の日常 0802-0822

8月2日 何気ないひとコマ

朝、リビングへ行くと、子供がテーブルに座って「万博の思い出ノート」を一生懸命つくっていた。そういう何気ない日常のひとコマに幸福があると思った。


8月4日 失敗

子供が布団を運ぶ手伝いをしようとして、植木を倒してしまった。フローリングに土が散らばる瞬間、時間が止まった。子供はごめんなさいと言って落ち込んだ。ぼくは深いため息をついて、無言で土を集めた。そのあとで後悔した。やさしく気にせんでいいよと言ってあげるべきだった。


8月17日 帰省

お盆休み最後の2日間は妻の実家で過ごした。早朝、福津の海岸を散歩した。魚が釣れそうな気配があった。そのあとナマズの郷に行ったけどナマズはいなかった。係員の人の話では、白鷺がナマズを食べてしまうそうだ。お義母さんが子供に鬼滅の刃を買ってくれた。ぼくと妻も便乗して読んでいる。


8月20日 トイカメラ

妻の友だち夫婦から、トイカメラをもらった(子供が)。デジタルで撮れて、すぐにロール紙に印刷できる優れモノだ。荒いモノクロプリントが良い感じ。ぼくも便乗して遊んでいる。


8月22日 コウモリ

鬼滅の刃の続きが気になるので、夕食後、子供と2人で歩いて黒木書店へ買いに行った。空は暗くなり始めていて、黒い物体がひらひらと舞っていた。よく見るとコウモリだった。

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本は買い方も大事



たった一行でも心に残る文章があればいい。『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を送る術』という本がそうだった。何事もうまくいかず、ボロボロの状態だった主人公が、歩いているときに突然、幸福を感じる。「自分がいま幸福なのは歩いているからだ」という一行。税込2,915円。それが一行の値段だとしたら、ちょっと(いや、かなり)高いな。

この本は、カメラマン黒川さんとの撮影の旅の途中、熊本の書店で買った。店主のセレクトが光る書店だった。その時いっしょに買った吉増剛造さんの『詩とは何か』は、ぼくの愛読書になった。この本はそこまでの位置にはいかなかった。でも、あの時あのお店で買ったという思い出がセットになっている。Amazonで買うとそうはならない。だから買い方も大事だと思う。(Amazon便利だから使ってしまうけど)

最近は暑いから、汗をかきたくないから、歩くことを避けてしまっていたけど、髪を切ったついでにたくさん歩いたら、気持ちがよかった。汗だくになったけど、頭の中がスッキリした。

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鬼滅の刃の映画を観る

子供と行ってきました。朝のららぽーと映画館。『鬼滅の刃 – 無限城編』を観てきました。アニメーションのクオリティがすごかった。映画としては『無限列車編』のほうが好きだったけど(煉獄さんのシーンは何度見ても泣いてしまう)、やっぱり映画館で見ると映像も音も迫力があって楽しめました。個人的ベストシーンは、胡蝶さんのひと突きです。子供は2回目の鑑賞で、1回目は泣いたらしい。何かに心を動かされて涙を流すという感受性が、いつのまにか彼の中に育まれていました。

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バースデーおでん

子供が誕生日に
リクエストした夕食は
おでんでした。
おいしいよね、おでん。
食べ過ぎてお腹が
ぱんぱんになっていた。

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旅の思い出に一冊

取材で福山市へ行った際
自由時間があったので
あてもなくぷらぷら歩いていると
児島書店という昔ながらの
古本屋を見つけた。

旅の思い出に一冊
「詩への架橋」という本を選んだ。
レジへ持っていくと
うず高く積まれた本と本のすき間から
店主の顔が半分だけ見えた。

福岡から来たことを告げて
福山の名物を尋ねると
「ねぶとの唐揚げ」を教えてくれた。

帰りにあなご飯と
ねぶとの唐揚げを買って
新幹線の中で食べた。

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心を燃やせ

鬼滅の刃

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タモ入れ

ぜんぜん釣れなくて、釣れそうな気配もなく、ただ惰性でルアーを投げ続けていると、少し離れたところから、じーーーーーというドラグの音が聞こえた。見ると、おじさんの竿が弓なりにしなっている。ドラグの音は鳴りっぱなしで、おじさんは必死でリールを巻いている。かなりの大物だ。すると、隣で釣りをしていた親子がおじさんのところへ近づいていき、間近で見学をはじめた。ぼくは嫌な予感がした。案の定、タモ入れを手伝いはじめた。まずいぞ。たしかにおじさんは苦戦している。でもそれは、釣り人にとって待ちに待った苦戦で、おじさんはタモ入れまで自分の力でやりたいかもしれないのだ。知らない人のおせっかいで魚を逃したら、きっと悔しくて眠れない。タモ入れに手間取っている様子を横目で見ながら、ぼくは1グラムのジグヘッドに、2.5インチのイージーシェイカーをつけて投げ続けていた。アジの気配はゼロだった。結局おじさんたちはタモ入れに失敗した。タモ入れは意外と難しいのだ。

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名案

朝、学校への行き道
何の話をするか
ジャンケンで決める。
みんな話したいことが違うのだ。
昨日は鬼滅の刃について話した。
今日は「みんなが話せる話にしよう」
と誰かが言ったから
ジャンケンはなかった。

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つくる人に戻った話

中村勇吾さんのインタビュー記事を読んだ。

ぼくがまだ駆け出しのWEBデザイナーだったころ、中村勇吾さんがつくる革新的でかっこいいインタラクティブWEBサイトに憧れた。それと同時に、こんな凄いものは自分にはとても作れないと、心を何度も折られた。

つくることが大好きな中村さんも、年齢を重ねて大御所となり、つくる人から、つくらせる人へ、少しずつシフトしていった。でもやっぱりつくることが好きで、指示や割り振りは自分のやりたいことではないと再認識し、今はまた「つくる人」に戻っている。

記事を読んだあと、自分が15年前にどうしてWEB制作会社を辞めようと思ったのかを思い出した。それは、役割がウェブデザイナーからディレクターへと変わり、自分の手を動かしてつくることが無くなってしまったからだった。

年齢と経験を重ねてディレクターになることは業界的に当たり前のことで、ぼくもその変化を受け入れていたつもりだったけど、やっぱり「つくる人」に戻りたくなった。

そんな時、鎌倉のWEB制作会社カヤックのWEBサイトを見た。「つくる人を増やす」という企業理念に心を動かされた。会社を辞めたあとひとり鎌倉へ行き、カヤックの面接を受けた。結果は不採用だった。残念だったけど、なぜかホッとした。

少しだけ鎌倉市内を観光して、長谷観音を見た。お金がなかったから夜行バスで帰った。バスの中でぼくは、一人でやってみようかな、と考えていた。

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神の声



『神々の沈黙』は、3000年前まで人間は「意識」を持たず、「神の声」を聞いて行動していたという仮説が書かれた本です。やがて人間に神の声は届かなくなり、ぼくたちのような現代版の人間になっていったそうです(あくまでも仮説です)。

なぜ「神の声」が聴こえなくなったのか?それは人間が「ことば」を発明したからで、ことばによって人に意識が芽生え、神の声ではなく、自らの意識で行動するようになったそうです。

やさしい哲学書『はじめて考えるときのように』には、「ことばがなければ考えられない」と書いてあります。人は何かを考える時、ことばを使って考える。ことばを発していなくても、頭の中でことばを使って考える。ということは、ことばが誕生してはじめて人に意識が宿ったというのは本当のことかもしれません。

じゃあ「神の声」って何なんだ?

工学博士の田坂広志さんは著書『死は存在しない』の中で、ゼロ・ポイント・フィールド理論を唱えています。この世には、宇宙の過去・現在・未来のすべての出来事が記録されているエネルギーの場「ゼロ・ポイント・フィールド」があって、自分たちもそのエネルギーの一部にすぎないと言っています。

意識的にゼロ・ポイント・フィールドと繋がることはできないけど、無意識がつながることがあって、その時に予感とか、デジャヴとか、不思議な偶然とか、なぜかそのことを知っていた、みたいな現象が起こる。宗教でいう神や天とは、ゼロ・ポイント・フィールドのことだ、と言っています。

もしそれが本当なら、まだ意識を持たなかった(ことばを持たなかった)大昔の人は、神の声を聞いていたんでしょうね。詩人・田村隆一さんの詩に「ことばなんて覚えるんじゃなかった」という有名な一行があるけど、田村さんは感覚的にそのことを知っていたのかな。

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オクラの研究

夏休みの自由研究で
子供がオクラの
研究をしています。

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鬼滅の刃

お盆休みの間に
子供と一緒にハマりました。
こんなに面白かったとは!
いま8巻を読み終えたところ。

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大竹伸朗さん



現代アート作家の大竹伸朗さんが書いた本「既にそこにあるもの」は、ものづくりをする人にとって、大いに刺激をもらえる本です。作品も魅力的だけど、ぼくは大竹さんの思想に強く惹かれます。「コンセプト」という言葉を嫌い、もっと根源的な「つくりたい気持ち」に従って正直につくる。たくさんつくる。拾った紙の上に、拾ったモノを貼り付ける。手を動かす喜びが、大竹さんのパワーの源だ。

写真家の石川直樹さんと大竹伸朗さんが、あるテレビ番組で対談をした。石川さんも写真集をたくさんつくるタイプの人で、膨大な作品数を誇る大竹さんのことを尊敬しているそうだ。そのことを石川さんが口にすると、大竹さんはちょっと照れながら「本当はもっと数少なく、作風を絞ってやったほうがカッコイイんだろうけどね。でも毎日作っていないと不安になるんだよ。だから結局、作品の数が増え続けてしまうんだ」と言った。カッコイイなと思った。

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弘法筆を選ばず

子供がヒラメを釣った時
アジング用の細くて短い竿を
使っていました。

それに3000番のリール
シーバス用のルアーという
ちぐはぐな組み合わせで
道具にこだわる釣り人から
怒られそうなセットでした。

それでも釣れる時は
釣れてしまうのが
釣りの面白さですね。

YouTubeで人気の「釣りドラ」さんは
道具にこだわらない野生派アングラーで
ボロボロのロッドに錆びたリールで
常人の10倍の釣果を叩きだします。

釣れた魚は素手で鷲づかみ。
服に海水やウロコが飛び散っても
まったく気にするそぶりを見せない。

あのアリゲーターガーを
たった一人で釣り上げるのも凄いけど
それを調理して食べるのもすごい。

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KUMANO

KUMANO

なんの情報も無しにこの写真集「KUMANO」を見て、これは名作だ!と言える人はどれぐらいいるんだろう。1年前、東京の「bookobscura」で買いました。ビニールが被せてあったので、店主に「中を少し見せてもらえますか?」と尋ねると、ビニールをはずしてカウンターの上にそっと置いてくれました。そして店主の目の前で、緊張しながらページをめくったことを覚えています。

終盤、紙面全体が真っ赤な炎に包まれていくところはとても迫力がある。火の熱さを感じるほどです。その反面、前半から中盤までずっと続く、なんの変哲もない風景写真が、ぼくにはよくわかりませんでした。いったい何を撮っているのか?今でもよくわかっていません。でも不思議なことに、あのなんの変哲もない写真のほうが、迫力ある炎の写真よりも、イメージとして強く頭の中に残っています。なんでやろう?そしてよくわからないからこそ、何度もページを開いてしまいます。

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